羽田空港 09:00発 JAL909便で那覇空港に向います。 関東地方はご覧のようなお天気です。 那覇空港には11:30着予定 約2時間半の空の旅です。 無事に那覇空港に着きました。 |
「沖縄都ホテル」で昼食をとりました。 メインは「やんばる産 地鶏の竜田揚げ」 |
ビールは地元の「ORION] オリオンビールにしました。 良く冷えていて咽喉越しのよいビールです。 |
「オオゴマダラ」の黄金の蛹には吃驚しました。 |
昼食後、時間があったのでホテルの方にお願いして、こちらでしか 見られないチョウ 「オオゴマダラ」を見学させて頂きました。 |
この金色に輝くのは「オオゴマダラの蛹(さなぎ)」です。 「オオゴマダラの幼虫」 |
特に季節性がないので、 ここでは同時に「成虫」、「蛹」、「幼虫」が見られるのでしょう。 それにしても、本当に見事な黄金色です。 この蛹は羽化寸前のようです。 |
オオゴマダラ」(タテハチョウ科マダラチョウ亜科) 大きさは60ミリ〜75ミリ 羽の面積では日本最大とのことです。 |
沖縄地方ではほぼ一年中見られるとのことです。 「守礼の門」 |
現地ガイドの案内で「守礼の門」、「園比屋武御嶽石門」、「首里城」を 観光しました。 琉球王国の歴史の一端に触れることが出来ました。 詳しくは「首里城・守礼の門」へ 又は 「こちらをクリックして下さい」。 |
「首里城正殿」です。 これが「デイゴの花」です。 今まで何となく思っていた印象とは全く異なりました。 そう思ったのは私だけでしょうか? |
「デイゴの花」(マメ科) 沖縄の県花 開花時期は4〜5月 「ハイビスカス」(アカネ科) |
「ハイビスカス」はたくさんの品種がありました。 詳しくは 「沖縄本島の植物」へ 又は「こちらをクリックしてください」。 |
今日の宿泊先は国領村字奥間の 「JALプライベートリゾートオクマ」の「グランドコテージ」です。 |
ホテルの前はプライベートビートです。 きれいな海を眺めながら白い砂浜を散歩しました。 |
蘇鉄(ソテツ)です。 雌雄異株ですが、どとらが雄株か分かりますか。 詳しくは 「沖縄本島の植物」へ をご覧下さい。 |
オクマでの夕食は「和・琉球バイキング」でした。 食後は 「島唄ミニ三線ライブ」を楽しみました。 懐かしい「安里屋ユンタ(あさどぅやゆんた)」も飛び出し一緒に 「マタハーリヌチンダラ カヌシャマヨー」と合唱してきました。 |
「二日目」 今日は、希望者は早起きして沖縄本島最北端の観光に出かけます。 でも、昨夜来からの強い風雨で大荒れの様相です。 |
「グランドコテージ」からの眺めです。 見えている一棟一棟が個々の宿泊施設です。 |
早めの朝食をとり、早朝ツアーに出かけました。 目的地は「茅打ちバンタ」と沖縄本島の最北端 「辺戸岬」です。 ここは 「茅打ちバンタ」 バンタとは崖のことだそうです。 |
物凄い強風のため傘は全く役にたちません。次々とオチョコになります。 あまりの強風で本当に飛ばされそうになりました。 建物の柱にしがみついて動けない人もいます。 私自身も強風で身体が固定できずカメラがぶれています。 |
ここが 「茅打ちバンタ」 「どんなに確り束ね結わいた茅(かや)でも、この崖(バンタ)から 投げ落としたら、強風のためたちまち解けてバラバラになってしまう」と 云うのが「茅打ちバンタ」の由来だそうです。 |
下からの強風でカメラを構えるのもやっとでした。 これは私ではありません。 |
沖縄本島の最北端 「辺戸岬」 |
辺戸岬は切り立った断崖絶壁から、伊是名島や伊平屋島、そして晴れて いれば与論島まで見ることができるそうですが、今日は生憎のお天気。 残念ながら車の中からと、ちょっぴり降りて周囲の写真を撮るだけで我慢 しなければなりませんでした。 岬の先端に立つ本土復帰を記念した石碑。 |
辺戸岬にて |
周辺の植物 |
「慶佐次(げさし)のマングローブ林」 |
そして荒れ模様の中 「慶佐次(げさし)のマングローブ林」を見学しました。 マングローブ林の植物の不思議な生態について勉強になりました。 詳しくは 「慶佐次(げさし)のマングローブ林」へ 又は 「こちらをクリックしてください」 |
「もとぶ元気村」では高速半潜水艦に乗船し珊瑚礁と熱帯魚を見学。 |
「もとぶ元気村」では幾つかの体験プランが用意されています。 私達はそのうちの「コーラルシービュー クルージング」を選びました。 これは高速半潜水艦で珊瑚礁と熱帯魚の観測をするコースです。 荒れ模様の天気でしたが、この海は比較的に穏やかでした。 |
途中見えてきたのは「マグロの養殖場」です。 |
船底の一部が半分くらい沈み込み、珊瑚礁の海底と熱帯魚を見ることが 出来ました。 スタッフの説明を聞きながら海中を眺めていたら写真を 撮るのを忘れていました。 海中が少し暗かったせいもありますが・・ これが「高速半潜水艦」とスタッフの皆様です。 |
「沖縄美ら海水族館」 |
ここの呼び物 「ジンベエザメの給餌」は実に圧巻でした。 詳しくは 「沖縄美(ちゅ)ら海水族館」へ 又は 「こちらをクリックしてください」 |
夕方になって、さしもの荒れ模様も少し収まってきました。 今夜の宿泊先は名護市字喜瀬の 「ザ・ブセナテラス」 |
「ザ・ブセナテラス」からの素晴らしい眺望です。 私の下手な写真では到底表現ができません。 |
早速、妻と写真を撮りあいました。 |
周りを見回すと、ご一緒に このツアーに参加されている Nさんも ちょうど奥様を撮影されていらっしゃるところでした。 |
距離はありましたが、望遠で写した Nさんご夫妻です。 |
明日はお天気も回復しそうです。 間もなく「サンセット」です。 |
今宵のディナーはイタリアンにしました。 |
素晴らしい雰囲気の 「chula-la」 でのイタリアン料理。 海外旅行をしている錯覚に陥りました。 |
雨もすっかりあがったようです。 「三日目」 |
早朝のホテル・レストラン ちょっとエキゾチックですね。 |
「ザ・ブセナテラス」の朝 |
朝食前、周辺を散歩しました。 周辺には亜熱帯の植物がたくさん・・ 詳しくは 「沖縄本島の植物」へ をご覧下さい。 |
「月桃」げっとう |
今日は好天気になりました。 |
「ザ・ブセナテラス」プライベートビーチです。 きれいでしょう! |
このホテルに一泊だけでは本当に勿体ない! 次回は是非連泊したいですね。 |
Nさんご夫妻です。 料理以外は完璧です・・ と、ご主人の事を惚気られる素敵な奥様です。 |
「ザ・ブセナテラス」をあとにして 今日の観光は 「琉球村」から始まります。 「カジマヤー」(風車祝) |
ユーモラスな「獅子舞」など |
琉球の息吹き絵巻行列 「道ジュネー」 詳しくは 「琉球村・道ジュネー」へ 又は 「こちらをクリックしてください」 |
「Gala」青い海を訪れました。場所は読谷村の西海岸沿いです。 |
実にきれいな青ですね・・ |
ここの海水で「塩づくり」の体験をします。 |
上は、風車を使った動力や太陽熱で海水を濃縮をしています。 濃縮された海水を熱して塩をつくります。 丹念に混ぜ合わせます。 根気が必要です。 |
かき混ぜること十数分。 やがて下のようになります。 それを、更に余熱でかき混ぜるとサラサラした天然の塩が 出来上がります。 完成まではおよそ25〜30分 |
思った以上のたくさんの塩が出来ました。 |
予めピックアップした容器に塩を入れてこぼれない様に包装して 出来上がりです。 容器の口の直径はおよそ5センチです。(念のため) 自分でつくった塩はお土産にもらえます。 |
「塩づくり」が終わったら「青い海」散策です。 |
宝貝や巻貝などの貝殻をたくさん拾いました。 なんか童心に帰ります・・ |
「座喜味城跡」の観光 |
座喜味城(ざきみじょう)は琉球王国成立に大きく貢献した按司(あじ)・ 護佐丸(ごさまる)によって築かれた城で、その石垣の積み方が美しい。 |
琉球最古のものとされる「アーチ型の石門」 ガイドさんの説明では、石門は一度、復旧工事がなされており その時、石門に見える楔(くさび)が使われたとのことです。 |
座喜味城跡の最上部からの見晴らし。 |
今日の宿泊先は宜野湾市真志喜の 「ラグナガーデンホテル」 |
ホテルに隣接して野球場があります。 ここでプロ球団のキャンプも行われるようです。 |
海もきれい、景色も良いのですが、今までの「ホテルと海」があまりにも 素晴らしかったので・・ |
今夜は、北谷にある「南ぬ天」で琉球料理(沖縄料理)を食べてから ライブハウス「カラハーイ」で島唄ライブを鑑賞します。 |
「沖縄料理」は、どれも美味しく、私達の口に合いました。 用意されたコースのほかに、沖縄風に煮込んだソーキ(軟骨つき豚 あばら肉)をトッピングした「沖縄そば」を食べました。美味しかった・・・ ライブハウス「カラハーイ」 今夜は「ティンクティンク」の出演です。 |
「ティンクティンク」 沖縄本土では多数のCMに出演する人気の二人だそうです。 |
唄って踊れる明るい癒しの二人の歌声は日本のJ-POPにも 新しい風を吹き込んでいるそうです。(カラハーイのパンフより) |
食事もライブも堪能しました。 これからホテルに帰ります。 |
「四日目」 |
「ラグナガーデンホテル」の朝 |
例によって朝の散策です。 下は 「トックリヤシ」 です |
今回の旅も今日が最終日です。 琉球舞踊館「うどい」で本格的な琉球舞踊を鑑賞しました。 |
我々も一緒に「安里屋ユンタ(あさどぅやゆんた)」を唄い踊りました。 詳しくは 「琉球舞踊館うどい」へ 又は 「こちらをクリックしてください」 |
「たまぐすく花野果村(はなやかむら)」を訪ねました。 |
新鮮な野菜や果物、特産物の加工品等が買える地元農家の直売所です。 「トロピカルフルーツ」の試食をしました。 ちょっと、酸っぱかった・・ |
星の形をしているのは「スターフルーツ」・・甘酸っぱい その左にあるのが「パッションフルーツ」・・これも甘酸っぱい味です。 「ひめゆりの塔」にお参りしました。 |
米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日の深夜、 沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、 教師18人は那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に 配属されました。3月26日、米軍は慶良間列島に侵攻、4月1日には 沖縄本島中部西海岸に上陸。米軍の南下に従い日本軍の死傷者が 激増し、学徒たちは後送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、 死体の埋葬に追われ、仮眠を取る間もなくなっていきます。 5月下旬米軍が迫る中、学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て、 本島南端部に向いました。 移動先の安静もつかの間、激しい砲爆撃の 続く中で6月18日を迎えます。 学徒たちは突然の「解散命令」に絶望し、米軍が包囲する戦場を逃げ 惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの 手榴弾で命を失いました。 陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊その他で 90人が亡くなりました。 米軍は沖縄戦を日本本土攻略の拠点を確保する最重要作戦と位置づけ、 物量のある限りを使い、対する日本軍は米軍の日本本土上陸を一日でも 遅らせるために壕に潜んでの防衛・持久作戦をとりました。 沖縄を守備するため、軍は県民の根こそぎ動員を企てると同時に、 学徒隊を編成して生徒たちの戦場動員を強行しました。 持久作戦、 根こそぎ動員は、12万余にのぼる沖縄住民の犠牲をうみました。 ひめゆり平和祈念資料館の資料より |
「ひめゆりの塔」 |
「ひめゆり」の由来 沖縄県女子師範学校と沖縄県第一高等女学校は、それぞれに 校友会誌がありました。一高女は「乙姫」、師範は「白百合」と 名づけられていました。 両校が併置されることによって、校友会誌もひとつになり、 両方の名前の一部を合わせて「姫百合」となりました。 ひらがなで「ひめゆり」を使うようになったのは戦後です。 又、植物の花のひめゆりとは関係ありません。 同じく上記の資料より |
終戦を、疎開先の山奥で迎えた私にとって、この時代の事は他人事では ありません。 國民學校初等科二年で手旗信号とモールス符号を覚え、 「青少年學徒に賜りたる勅語」を暗唱し、敵機B29が飛来すれば 早く 大きくなって戦闘機を操縦して敵めがけて体当たり・・、本気にそう思って いました。 教育とは本当に恐ろしいものです。 今も、イラクでは連日のように自爆テロが繰り返されています。 これも同じ事です。宗教宗派の教義と教育。 その結果、死ぬことを美化 した教育を受けた人々が、あたら尊い命を失っていくのです。 「ひめゆりの塔」をお参りし、「ひめゆり平和祈念資料館」を見学して 改めて、二度と日本が戦火に巻き込まれないよう祈念してきました。 |
二日間、楽しい唄とガイドをしてくださったHさん。 |
今、帰るため「那覇空港」に向っています。 次回の沖縄は「島めぐり」をする予定です。 「おまけ」 |
守礼の門で記念写真を撮りました。 琉球舞踊館「うどい」でお土産に買いました。 |
美味しかったので「ソーキそば」を買ってみました。 |
「芭蕉布」 |
「花織り」 |
「首里織」 |
「紅型」 |