首里城・園比屋武御嶽石門・守礼の門

首里城は十四世紀末に創建された中国や日本の文化も混合する琉球独特の城。
沖縄戦で焼失しましたが、1992年11月3日に復元されました

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 「守礼門」 しゅれいもん
 首里城外第2の楼門で創建は1529年頃
 「守禮乃邦」とは礼節を重んじる国を意味しています。
 


 「園比屋武御嶽石門」 そのひやんうたきいしもん

 守礼門のそばにある石門
 国王が城外に出かける時に旅の安全を祈願したり、
 王府の行事や祭祀に重要な役割がありました。

 門のうしろに広がる森は「御嶽」 うたき と呼ばれる聖地で、石門はこの
 御嶽の拝殿の役割をもっています。

 
 「園比屋武御嶽石門」 最上部の彫刻



 「歓会門」 かんかいもん
 首里城の第1正門。
 尚真王(しょうしんおう)の時代(1477〜1526)に創建された。
 石造りのアーチ門の上に木造平屋・本瓦葺き入母屋造りの櫓をのせた
 形式になっています。

 門の横には「シーサー」という一対の石の獅子像が魔除けの意味で
 置かれています。

 「歓会」とは歓迎しますの意味です。




 「瑞泉門」 ずいせんもん
 首里城第2の正門。
 門にいたる階段の右脇の湧き水の名前にちなんでつけられました。

 門は両脇の石垣の上に木造平屋・本瓦葺き入母屋造りの櫓を架けた
 形式になっています。


 「瑞泉」ずいせん

 湧き水「瑞泉」です。
 「瑞泉」とは立派な、めでたい泉と言う意味です。


 「龍樋」 りゅうひ
 「龍樋」 りゅうひ は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように
 名付けられました。この水は王宮の飲料水として使われていました。また、
 中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くに
 あった「天使館」 てんしかん という宿舎まで、毎日ここから水をはこんだと
 いわれています。
 龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものです。



 「漏刻門」
 首里城にいたる3番目の城門。
 漏刻とは「水時計」のことで、門の楼で時刻を測ったところから名付け
 られました。
 
 門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時刻を測り太鼓の
 数で時間を知らせたそうです。




 「首里城正殿」と「お庭」
 「お庭」 うなー
 首里城正殿前の広場で、冊封の儀式や元日の国王への挨拶、十五夜など
 季節ごとの行事や式典、儀式のたびにこの広場が使われました。
 赤と白の縞模様は儀式の時に式官の配置、諸官の位による立ち位置を
 示す役割を持っていました。

 首里城正殿に向って左側の「北殿」は、通常は行政の手続きや書類作成
 などの行政施設。
 又、中国皇帝の使者・「冊封使」 さっぽうし が来たときは接待場所として
 使われました。





 「首里城正殿」
 琉球王国最大の木造建築物。
 木造三階建・本瓦葺きの建物で、建物全体に国王の象徴である龍が
 33体、彫刻や蒔絵で施されています。

 「唐破風妻飾」(上の写真)
  唐破風の妻壁には中央に火焔宝珠と大蟇股、両脇には金龍と瑞雲の
  彫刻が施されています。



 
 正殿正面の「龍頭棟飾り」



 正殿最上部・左右の「龍頭棟飾り」




 「南殿・番所」 なんでん・ばんどころ
 正殿に向って右側にあるのが南殿。
 年賀の儀式や3月の節句など年間を通じて行事が行われ薩摩藩の
 接待が行われました。



 「大庫理」 うふぐい
 二階は「大庫理」 うふぐいと呼ばれ、王家の行催事が行われました。
 中央には国王が座る場所である「御差床」(うすさか)があり、 その
 後方には「おせんみこちゃ」と呼ばれる間があります。
 「おせんみこちゃ」は国王と女官が毎朝、国家の安泰や子孫の繁栄を
 祈願した場所と云われています。
 


 「冠」と「印」






 「久慶門」 きゅうけいもん
 首里城外郭の北側に位置し、かつては通用門として主に女性が使用して
 いました。石造拱門で上部に木造平屋・本瓦葺の櫓 があります。
 俗に「ほこり御門」 ほこりうじょう とも称されています。 建造は尚真王代の
 頃といわれ、門の構造形式は歓会門 と同様です。
 現在は城郭内観覧順路の出口となっています。



 出口付近で係りの「お役人様?」と記念に一枚撮らせていただきました。
 それにしても豪華絢爛の首里城正殿でした。






 (財)海洋博覧会記念公園管理財団・首里城公園管理センター
  及び 「るるぶ」の資料等から引用させていただきました。


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