「守礼門」 しゅれいもん |
首里城外第2の楼門で創建は1529年頃 「守禮乃邦」とは礼節を重んじる国を意味しています。 「園比屋武御嶽石門」 そのひやんうたきいしもん |
守礼門のそばにある石門 国王が城外に出かける時に旅の安全を祈願したり、 王府の行事や祭祀に重要な役割がありました。 |
門のうしろに広がる森は「御嶽」 うたき と呼ばれる聖地で、石門はこの 御嶽の拝殿の役割をもっています。 |
「園比屋武御嶽石門」 最上部の彫刻 |
「歓会門」 かんかいもん |
首里城の第1正門。 尚真王(しょうしんおう)の時代(1477〜1526)に創建された。 石造りのアーチ門の上に木造平屋・本瓦葺き入母屋造りの櫓をのせた 形式になっています。 門の横には「シーサー」という一対の石の獅子像が魔除けの意味で 置かれています。 「歓会」とは歓迎しますの意味です。 「瑞泉門」 ずいせんもん |
首里城第2の正門。 門にいたる階段の右脇の湧き水の名前にちなんでつけられました。 門は両脇の石垣の上に木造平屋・本瓦葺き入母屋造りの櫓を架けた 形式になっています。 |
「瑞泉」ずいせん |
湧き水「瑞泉」です。 「瑞泉」とは立派な、めでたい泉と言う意味です。 「龍樋」 りゅうひ |
「龍樋」 りゅうひ は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように 名付けられました。この水は王宮の飲料水として使われていました。また、 中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くに あった「天使館」 てんしかん という宿舎まで、毎日ここから水をはこんだと いわれています。 龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものです。 |
「漏刻門」 |
首里城にいたる3番目の城門。 漏刻とは「水時計」のことで、門の楼で時刻を測ったところから名付け られました。 門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時刻を測り太鼓の 数で時間を知らせたそうです。 |
「首里城正殿」と「お庭」 |
「お庭」 うなー 首里城正殿前の広場で、冊封の儀式や元日の国王への挨拶、十五夜など 季節ごとの行事や式典、儀式のたびにこの広場が使われました。 赤と白の縞模様は儀式の時に式官の配置、諸官の位による立ち位置を 示す役割を持っていました。 |
首里城正殿に向って左側の「北殿」は、通常は行政の手続きや書類作成 などの行政施設。 又、中国皇帝の使者・「冊封使」 さっぽうし が来たときは接待場所として 使われました。 「首里城正殿」 |
琉球王国最大の木造建築物。 木造三階建・本瓦葺きの建物で、建物全体に国王の象徴である龍が 33体、彫刻や蒔絵で施されています。 「唐破風妻飾」(上の写真) 唐破風の妻壁には中央に火焔宝珠と大蟇股、両脇には金龍と瑞雲の 彫刻が施されています。 正殿正面の「龍頭棟飾り」 |
正殿最上部・左右の「龍頭棟飾り」 |
「南殿・番所」 なんでん・ばんどころ |
正殿に向って右側にあるのが南殿。 年賀の儀式や3月の節句など年間を通じて行事が行われ薩摩藩の 接待が行われました。 「大庫理」 うふぐい |
二階は「大庫理」 うふぐいと呼ばれ、王家の行催事が行われました。 中央には国王が座る場所である「御差床」(うすさか)があり、 その 後方には「おせんみこちゃ」と呼ばれる間があります。 「おせんみこちゃ」は国王と女官が毎朝、国家の安泰や子孫の繁栄を 祈願した場所と云われています。 |
「冠」と「印」 |
「久慶門」 きゅうけいもん |
首里城外郭の北側に位置し、かつては通用門として主に女性が使用して いました。石造拱門で上部に木造平屋・本瓦葺の櫓 があります。 俗に「ほこり御門」 ほこりうじょう とも称されています。 建造は尚真王代の 頃といわれ、門の構造形式は歓会門 と同様です。 現在は城郭内観覧順路の出口となっています。 出口付近で係りの「お役人様?」と記念に一枚撮らせていただきました。 それにしても豪華絢爛の首里城正殿でした。 |
(財)海洋博覧会記念公園管理財団・首里城公園管理センター 及び 「るるぶ」の資料等から引用させていただきました。 |