日々好日

明日は好い日でありますように・・

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 世界遺産アンコール遺跡(カンボジア)とホーチミン、ハノイ(ベトナム)の旅のページ、
 まだ書き足らない個所が多々ありますが、年が明けてしまいますので掲載致しました。
 特に各遺跡のたくさんのレリーフについては今後精査して加筆したいと思っています。
 お時間がございましたら 「海外の旅」編、または「こちらをクリック」 してご覧ください。

 それでは、良い年をお迎えください。              2011.12.31(土)
 写真は、アンコール・ワットにて




 
どんなに忙しくても時間は容赦なく経過してゆきます。例年通りにしんの昆布巻き
を作り、ごまめ(田作り)を煎り、松飾を飾り・・・などなど年末の私の仕事です。
その他に妻の作る麹を使った鰊大根作りの手伝い、風呂の掃除に車の洗車・・
息子が手術して今日が抜糸だったので病院まで車で送り迎え、もうくたくたです。
「やっぱり年齢(とし)には敵いません」と音を上げるのは、まだまだ悔しいのです。

そんな合間を見て旅のホームページは形だけでも今年中にと頑張っています。
                                  2011.12.30(金)
写真は、メコン川のトイソン島(ベトナム)にて




 
約8kmのいつものウォーキング、途中の航空公園では池に薄氷が張りカモたちが
氷に沿って泳いでいました。
日当たりのよい場所では蝋梅(ろうばい)が咲き始めました。(写真の品種は満月)

お正月までもう何日もありません。旅のホームページは遅々として進みません。
何とか年内には掲載したいと思っています。        2011.12.26(月)
 




地域の長老の一人で大変な世話役でもあったHさんが18日、胃がんのため88歳で
大往生され、一昨日の通夜と昨日の告別式に私も参列しお骨を拾ってまいりました。

Hさんは退職された後、地域社会のために積極的にかかわり古紙回収の音頭取りを
はじめ、町の清掃活動、パソコン教室の参加や有志を募っての月一麻雀大会の開催
などなど町内で知らぬ人が無いほどの人望を集めていました。そのため通夜には約
300名近くが参列、都合で早朝8時半からの告別式にも多数の方が駆けつけました。
入院から2週間余り、私も帰国翌日の12日にお見舞いに馳せ参じ小一時間お話を
することが出来、地域デビューの切っ掛けを作ってくださったお礼を述べ、また来ます
と別れましたがそれから6日、あまりにもあっけないお別れでした。
喪主のご挨拶にもありましたが、充実した第二の人生を送られたとの由、心からご冥
福をお祈りします。


もう一つ、妻や家族とも別居し、一人千葉方面で田舎暮らしをしたいと言って越して
行き、その後数年に亘って音沙汰のなかった弟が12日の夕方亡くなったと、甥から
連絡が入り17日、千葉県の横芝で身内だけの簡素な葬儀を執り行ってきました。
聞けば2年ほど前に脳梗塞で倒れたが一人暮らしの為発見が遅れ、一日一回来る
配膳業者の方の通知で警察官立ち合いのもと窓ガラスを割り、救急車で病院に運ば
れたそうですが、以来意識は回復せず約2年間の寝たきりの末急性肺炎で死亡しま
した。73歳でした。念願だった自由気ままな一人暮らしは満足だったのでしょうか?

私の住む地域でも一人暮らしの高齢者や、老夫婦だけの世帯が増えてきました。
自治会で何か対策がとれないものかと考えています。


話は違いますが、北朝鮮の金正日総書記が17日に現地指導に向かう列車内で肉体
的過労の為(心筋梗塞を起こし心因性ショックを併発し)死去したと発表されました。
69歳。17年間にわたり独裁体制を敷き軍事力に重きを置き、経済を疲弊させ人民を
飢えさせた彼の生涯は幸せだったのでしょうか・・。

様々な死に接し、私自身の生き方にも重ね合わせて色々考えさせられる年の瀬です。
                                     2011.12.21(水)
写真は、シェムリアップ空港(カンボジア)の日没



 
いつも旅行から帰ってくると大変な事が待っています。
まず溜まってしまった新聞(日経と読売の朝夕刊)をはじから読まなくてはなりません。
これが一番の大仕事です。昨日やっと読み終わりました。
その次が旅行中の資料の整理です。これはなかなか終わりません。取りあえず伝票
(レシート関係)の整理は今日終わりました。
この間、入院お見舞いが二件、滞っていた学校関係や地域関係の仕事をこなしながら
年賀状はどうやら半分出来上がりましたが、撮り溜めたTVのビデオは手つかずです。

明日からは写真の整理に入る予定ですが、そんな訳でホームページに掲載するには
もう少し時間がかかりそうです。                 2011.12.15(木)
上の写真は、夜のサイゴン川(ベトナム・ホーチミン市)




 
世界遺産アンコール遺跡(カンボジア)とホーチミン、ハノイ(ベトナム)を訪れて、今朝
帰国しました。
参加者は20名、全員60歳以上のシルバー世代にも関わらず早朝から夜まで連日の強
行軍にもめげず日程をこなしてきました。 (私は最終日少々バテてしまいましたが・・・)
添乗員のOさんは、若さに似合わず海千山千のシルバーグループを保育園児の如く巧
みに引率し、多少のトラブル(麻薬所持の疑いや多額のドル紙幣持ち込の疑いをかけ
られたり・・・、(勿論全部無実ですが)はありましたが、無事7日間の旅をして来ました。

最終日のハノイでは予想された気温(19℃~23℃)を大きく下回り日本の晩秋の気候
だった為、厚手の服装で市内を観光し夜中の便で成田に早朝6時半無事到着しました。
この旅の詳細は写真などを整理して、後日「海外の旅」編に掲載いたします。
                                     2011.12.11(日)
写真はアンコール遺跡の一つ「タ・プローム」にて




出光美術館(東京・丸の内)で開催中の「長谷川等伯(はせがわ とうはく)と狩野派」展に
先日妻と行ってきました。  長谷川等伯、天文8年(1539)~慶長15年(1610)

長谷川等伯(信春)は 「松林図屏風」(東京国立博物館蔵・国宝)を筆頭とする水墨画に
多くの代表作を残している安土桃山時代を代表する絵師で、現在日本経済新聞朝刊で
等伯の生涯を、安部龍太郎氏作 「等伯」(西のぼる画)で連載中です。
連載は今、長年この絵画の世界に君臨してきた狩野派(狩野永徳)の牙城を裸一貫か
ら身を起こした信春(長谷川等伯)が突き破ろうとしているという佳境に入ってきました。


それはさて置き、「長谷川等伯と狩野派」展には等伯「竹虎図屏風」(六曲一隻・墨絵)
はじめ 「四季花鳥図屏風」(重要文化財)など9点、全盛期の狩野派の作品6点ほか
見ごたえのある大作がずらりと観る者を威圧するかの様に展示されていました。
広い会場を見渡すと女性が9割近く、最近感じるのはこのような催しものは圧倒的に
女性が多い事です。男性陣ももう少し頑張りましょう。

実物をじっくり鑑賞できたので、連載中の「等伯」の今後が益々興味深くなりました。
12月18日(日)まで開催されています。 入館料は一般1000円。
上は、竹虎図屏風(長谷川等伯 桃山時代)
六曲一双(右隻)各・縦154.4cm 横361.6cm 紙本墨絵     2011.11.28(月)




今日、東京・丸の内にある出光美術館に「長谷川等伯と狩野派」展を見るため妻と出か
けました。 美術館の開館は10時からなので、自宅を少し早く出て昨日から発売された
「年末ジャンボ宝くじ」を西銀座の宝くじ売り場「チャンスセンター」で購入してから美術館
に行こうと思いました。
 
ところが現場に着いて吃驚しました。 人気の一番窓口で買うための行列が延々と
晴海通りまで埋めていました。最後尾には係員が1番窓口まで1時間半かかるとの
プラカードを掲げていました。今日は大安吉日だから余計に混んでいるとの事です。

しかし折角来たのだから、しかも前回(10月24日参照)はこの売り場で買ったのが
初めて購入金額以上の当選金が出たので意を決して二人で並ぶことにしました。
 
並ぶこと1時間、ようやく売り場が見えてきました。係員が「1番窓口は二人の売り子で
販売しています、どちらも1番です。」と声を張り上げていました。
 
2番、3番、5番窓口なら直ぐに購入できる旨の掲示がありましたが・・・
列の中から、「いっそのこと窓口の番号を無くせばいいのに」との声も。
 
 さらに10分、ようやく1番窓口で「年末ジャンボ」を購入することが出来ました。
並んでから1時間10分でした。そして「出光美術館」に向かうため晴海通りに出ると
行列は更に伸びていて最後尾のプラカードは2時間半となっていました。
 
こんな不景気な世の中、せめて夢だけでも大きく見たいものですね・・
当たらないとは思いつつ・・、でも買わなければ絶対に当たらないのも宝くじです。


今日の目的は美術館だったのですが、その件は後日改めて記載したいと思います。
                                 2011.11.25(金)大安




先日、新潟県の清津峡渓谷から野尻湖を巡り赤倉温泉で一泊し、翌日高橋まゆみ
人形館を見学し善光寺様(長野県)を参拝してきましたが、その時の様子を整理して
掲載しましたので、お時間がありましたら「日本の旅」編または「こちらをクリック」して
ご覧ください。
寒暖の差が激しい今日この頃、お互い風邪をひかぬよう体調管理を確りしましょう。
写真は、善光寺にて                       2011.11.19(土)




立冬も過ぎた10日、ようやくこの時期らしい気温になってきました。
庭の山茶花があちこちで咲き始めました。今年は天候不順の為か例年に比べて
生り物が不作でした。梅や無花果(いちじく)、柘榴(ざくろ)等など、おしるし程度に
実を付けただけでした。
そうそうブルーベリーや茗荷(みょうが)は例年の様に沢山採れましたし山椒の実も
たくさん採れました。柚子(ゆず)も黄金色の実が葉の隙間から見え隠れしています。
こう並べてみると比較的大きな木の生り物が不作だったようです。

話は違いますが、今夕発表される予定だった野田総理のTPP(環太平洋経済連携
協定)交渉参加の決定が一日延期されました。与党の党内事情等によるものですが
私はTPP交渉参加に賛成です。


今のままでは歴史的な円高と相まって国内の大方の産業は大打撃を受けています。
生産拠点を海外に移転する企業の動きが加速し、国内の空洞化が益々進みます。
これでは、国内の産業は衰退し就労先が細る一方です。
このTPPなどの問題にはいつも農業問題が絡みますが、農業に対する国の方針が、
農業団体を票田とする国会議員などによる場当たり的な政策が行われて来た結果
今日の農業の衰退を招いているのだと思います。

TPP交渉に参加するしないに関わらず、農業問題は抜本的な改革が必要なのです。
民主党政権下で2010年度に導入された戸別所得補償制度の改革や、農地を大規
模化する為の思い切った政策が必要です。 進化のない農政に明日はありません。
写真は、庭の山茶花(サザンカ)                 2011.11.10(木)




文化の日の3日、日本三大峡谷の一つ「清津峡」(新潟県・上信越高原国立公園内)
の絶景を訪ね、ナウマン象の化石発掘で有名な「野尻湖」を遊覧船で巡り、赤倉温泉
に一泊。
翌4日は「高橋まゆみ人形館」で、既にメディア等でご存知の方も多いと思いますが
ほっこり心温まる作品の数々を堪能したあと「善光寺」さんをお参りしてきました。

好天と美味い食べ物、そしてメンバーに恵まれた二日間のバスの旅でした。
この旅の様子は整理した上、後日「日本の旅」編に掲載いたします。
 
写真は、上から「清津峡渓谷」、「ナウマン象」、「似た者どうし」(高橋まゆみ作)
                                    2011.11.05(土)




昨日も真っ青な秋空の中を妻とウォーキングに出かけました。
近隣には柿の木がたくさんあり、採る人もなく実がたわわになっています。中には熟し
すぎて落ちそうなものもあります。子供の頃疎開先の田舎で手と口の周りをべたべた
にして甘くて美味しい熟し柿を頬張ったことが懐かしく思い出されます。

この熟しすぎた柿の実は、冷凍庫で凍らせシャーベット状で食べるとおいしいですよと
青果売り場のお兄さんが教えてくれました。試したら本当においしかったです。

そういえば30年位前、息子の一人が熟した柿を腐っちゃったといって捨ててしまった
ことも思い出しました。青果売り場のお兄さんも熟した柿は売り物にならないと言って
いました。ちょっと勿体ないですね。              2011.10.30(日)




 昨日、行われた所沢市長
 選は新人で前県議会議員
 の藤本正人氏(49)が現
 職の当麻よし子氏(62)と
 新人で前衆議院議員の並
 木正芳氏(62)を破って初
 当選をしました。
 藤本氏は「気力・体力・行動力」そして「若さ」を強く打ち出し、教育生活10年の経験
 から所沢市を現在の二学期制から三学期制に復活させ、「学ぶなら所沢の学校」と
 言われるような日本一の教育環境を創る。
 環境では、太陽光発電をマチごと導入。福祉・自治では絆を大切に、三世帯同居の
 優遇策。行政では「公務員は市民のためにある」のプライドを持って・・・などなどを
 掲げています。大いに期待したいと思います。

 話は違いますが先日のこの欄で宝くじのことを掲載しました。その時、宝くじは今まで
 購入した金額以上に当たった例(ためし)がありませんが、たまには間違って当たって
 くれても良いのではないかと期待しています。
と書きましたが、この度本当に購入金額
 以上の当たりがでたと今朝妻から報告がありました。
 購入金額は9,000円でしたが1万3千9百円になったそうです。目出度しめでたしです。
 写真は、藤本正人氏(向かって左)と              2011.10.24(月)




中学時代からの友人Hは、所沢市の名士でもあります。 昨日も、気が置けない
仲間同士での月一カラオケの後、そのHが 「ちょっとSoftBank(ソフトバンク)に
寄ってくるから」と言って一足先に店を出てゆきました。
やがて戻ってきたHに、どうしたのと尋ねたところ、「携帯の呼び出し音が鳴らなく
なったのと相手の声が小さくて聞こえにくいので直してもらってきた」との事でした。

原因はいつの間にかマナーモードのボタンに触れてしまいマナーモードになった
ままだった事と、受話音量調節の設定が最小のままだったので相手の声が聞こ
えにくかったのです。


若い人から見れば何でもない事かも知れませんが、私たちの年齢になると余程
しっかり繰り返し教えてもらわないと、マニュアルを読んだだけでは理解しにくい
のです。
マニュアルが分厚く多岐にわたる事や文字が細かいのも原因の一つです。

私自身も、先日まで受話音量の調節が最小になっていたので笑い事でも他人事
でもありません。

スマートフォンも結構ですが高齢者向けにはもっともっと使いやすい携帯器機や
分かりやすい説明書の開発が望まれます。
      2011.10.18(火)
写真は日日草




昨日7日、小島常弘のコンサートに妻と行ってきました。あまり聞きなれない名前だと
思いますが小島氏は慶応大学商学部の卒業。
定年退職後、本格的に声楽の勉強を開始し、2006年日本演奏家コンクール入選、
KOSMAアマチュア声楽コンクール「金賞・奨励賞」受賞、第3回横浜国際音楽コンク
ールアマチュア部門第二位(一位なし)受賞。
今年4月テレビ朝日の「題名のない音楽会」<第1回オーケストラ伴奏で歌ってみまし
ょう>に出演。という異色の新人声楽家です。

駅近くのこじんまりした会場いっぱい約80人を前に第1部カンツォーネ・オペラアリア
「誰も寝てはならぬ」「カタリ・カタリ」など、休憩をはさんでの第2部の「日本の歌」では
「荒城の月」「落葉松(からまつ)」など12曲を豊かなテノールで披露し、最後は全員で
「上を向いて歩こう」と「ふるさと」を合唱し、秋の午後のひと時を心地よく過ごしました。

アシスタントにソプラノの「長井マヤ」、ピアノ伴奏は「西澤ことは」の皆さんでした。

私も仲間たちと月2回、カラオケを楽しんでいますが、もうひと頑張りしたくなりました。
写真は小島常弘氏                         2011.10.08(土)




   5日米国アップル社の
 共同創業者スティーブ・
 ジョブズ会長が死去しま
 した。享年56歳の若さ
 でした。


 私は昭和52年(1977)
 NECが秋葉原のラジオ
 会館7Fの「Bit-INN」に
 「マイクロコンピュータ
 クラブ」を開設した時に
 その会員になりました。

 奇しくも、その前年の
 1976年にジョブズ氏が
 個人向けコンピュータ
 を作製する為の企業
 アップルコンピュータ
 を創業し、翌1977年に
 「アップルⅡ」が発売さ
 れました。
まさにパーソナルコンピュータ時代の幕開けです。
その後のジョブズ氏の世界を大きく変えた革新的な事業の数々についてはご存知の
通りです。そしてその結果、世の中が便利になった反面、予測も出来なかったような
新たな犯罪や事故が起きてきました。
また関連する機器や端末(コンピュータや携帯、スマートフォン等)を使えるかどうか
である種の社会的格差も出ています。しかしこの事はいつの時代でも同じでしょう。

それにしても大変に惜しい人が亡くなりました。合掌      2011.10.07(金)




 
 久しぶりに妻と銀座に 
 出かけました。
 目的は知人の画家が 
 並木通りのギャラリー 
 ミハラヤで個展を開い
 たので訪ねたのです。
 

 以前もこの欄で紹介
 した松本珍男子画伯
 の第5回目の個展で
 昨秋奥様と南仏から
 パリにスケッチの旅を
 された折の作品など、
 約50点が展示されて
 いました。
 開催日は、今日から
 9日(日)までです。


 帰途、当たりが多く出
 ると云われる西銀座
 にある宝くじ売り場で
 行列に並びオータム
 ジャンボ宝くじを購入
 してきました。

宝くじは今まで購入した金額以上に当たった例(ためし)がありませんが、たまには
間違って当たってくれても良いのではないかと期待しています。

写真は、松本画伯の「赤富士」                 2011.10.03(月)




 
今日も気持ち良い秋晴れ。ウォーキングの途中、航空公園で初めて見るチョウ(蝶)に
出会いました。数枚写真を撮り帰宅して図鑑やネットで調べた結果 「アカボシゴマダラ」
で、もともと、日本では奄美大島でのみ生息していましたが、ここ近年、放チョウにより
神奈川県で発生しているそうです。そしてまた、この神奈川県で発生している種は中国
産亜種で奄美大島のものとは別亜種になります。とも記載されていました。
 
また、ウィキペディア(フリー百科事典)によると
アカボシゴマダラはチョウ目タテハチョウ科に属し、東アジアの広域分布種で、斑紋は
近縁のゴマダラチョウによく似るが、和名が示す通り、後翅の外縁に鮮やかな赤い斑
紋が出現することで区別される。
タテハチョウとしてはゆるやかな飛翔で、斑紋も行動様式も毒蝶のマダラチョウ類に擬
態していると考えられる。 「要注意外来生物」に指定されている(※原産亜種を除く)。
との事でした。

要注意外来生物(ようちゅういがいらいせいぶつ)とは、外来生物法に於いて、特定外
来種には選定されていないが、適否について検討中、または調査不足から未選定とさ
れている生物種。環境省が指定する。そうです。

せっかく珍しい蝶を見つけましたが、調べてみたら上記のような事が分かってきました。
この蝶が「原産亜種」かどうかは定かではありませんが、今記載しながらとても複雑な
気持ちです。


話は違いますが、秋空にアキアカネがたくさんホバリングしていました。
                                    2011.09.29(木)
 



 
日本を縦断し各地に大災害をもたらした台風15号も北海道に抜け、今日は秋分の日。
例によってウォーキングに出かけました。
途中の東川でも台風の強風で倒木があちこちに見られましたが、そのひとつにあまり
見かけない鳥(上の写真)がいたのでカメラにおさめました。
全長は40cm位、帰宅してから野鳥図鑑で名前を調べるつもりでした。

ところが100mほど上流に行ったところで又二羽、初めて見る鳥に出くわしました。
下の写真です。今までこの付近では見かけなかった鳥なので川辺に住む方にお聞き
しましたが、その方も今まで見たことがないとのこと、こちらは全長50cm強位でした。

ウォーキングから帰り早速、図鑑などで調べてみたところ両方とも「ゴイサギ」でした。
下が成鳥で、上は「ホシゴイ」とも呼ばれる「ゴイサギの幼鳥」だと分かりました。多分
親子だと思います。親鳥の一羽は樹上からじーっと下の様子を探っている様だったの
で、まだ何羽か幼鳥がいたのかも知れませんが無事に育ってほしいと思っています。
「ゴイサギ」五位鷺(コウノトリ目サギ科)
                                      2011.09.23(金)
二枚とも写真の上にマウスをのせて(ロールオーバー)みてください。上の写真の倒木
にゴイサギの幼鳥がとまっていますが分かりますか?
 



 
今日は敬老の日です。私もとうとうお祝いをしていただく方に入ってしまいました。
午前中、近くの公民館で開催された「みんなで長生きを祝う会」に出席してきました。

第一部の式典に続き第二部のアトラクションでは柳亭楽輔(りゅうてい らくすけ)さんが
亡き師匠「柳亭痴楽」の思い出話と落語「ちりとてちん」を披露。色物では細川たかしの
三味線を受け持ったという太田家元九郎(おおたや がんくろう)の津軽三味線漫談では
韓国民謡の「アリラン」、ビートルズの「イエスタディ」、ペルーの「コンドルは飛んでいく」
そしてザ・ベンチャーズの「パイプライン」等を漫談を交えて津軽三味線で聞かせてくれ
楽しいひと時を過ごしてきました。
今日招待された地域内の75歳、80歳、88歳、100歳以上の方々には市からお祝品
が贈呈されました。私もいただいて参りました。


余談ですが今年10月に市長選挙が実施されます。今日の会場では過去3回も立候補
して落選し、今回も立候補を表明している人物が式典のひな壇中央で盛んに笑顔を振
りまいていました。
4年前の市長選の折、読売新聞にこの候補者は立候補に際し自己改革として「我慢す
る」、「人の意見を聞く」、「仲良くする」を揚げています。 「今まで自分勝手にやってきた
ことを改めたい」との思いからだそうです。
 その時も同じことを私は書きましたが・・・、
彼は、それまで先に揚げた自己改革の正反対のことをして来たようです。「自我が強い」
「人の意見に耳を貸さない」、「協調性が無い」人なのでしょう。私も、お会いして話をした
事もありますが・・

60余歳になった人が、そうそう簡単に自己改革が出来るとは到底思えません。昔から
「三つ子の魂(たましい) 百まで」と云うではありませんか。
こんな人が市長になったら所沢市はいったいどうなってしまうのでしょうか・・・、まさかと
は思いますが、考えると憂鬱です。                2011.09.19(月)

写真上は会場と舞台の「緞帳(どんちょう)」で多摩湖(村山貯水池)の風景です。
 
 写真上は津軽三味線漫談の太田家元九郎さん、下は「ちりとてちん」の柳亭楽輔さん
 



  
西武池袋本店の西武ギャラリーで「片岡鶴太郎展」が開催されていたので見てきました。
もう10年以上も前でしょうか、初めてギャラリーで見た鶴太郎さんの絵は一番下にある
「威風堂堂」のような色使いが特徴で、その強烈で不思議な絵に大変魅了されました。

そんな絵を期待していましたが、最近はすっかり画風が変わってしまったのでしょうか。
パンフレットから抜粋しましたが、タイトルの「墨牡丹」は別として「桃と梨」のような作品が
数十点も展示され、カラフルな作品はすっかり影をひそめ、ちょっぴり寂しい感じでした。
しかし、画風が変わることは仕方がないことで、これが彼にとっては成長なのでしょう。

ただ、数点づつ展示されていた陶器とガラス工芸品、特にガラス工芸品には素晴らしい
作品がいくつかあり、これは目の保養になりました。
 今月の19日迄開催しています。
 
  「墨牡丹」二曲屏風
     
「月の夜」    「七福神」
  
「 桃と梨」
  
懐かしい色彩豊かな鶴太郎さんの「真鯛」               2011.09.14(水)  



【運転免許証の更新のお知らせ】が届いたので、期日にはまだ余裕がありましたが今日
地元の警察署に出向き更新してきました。


更新手続きの流れは、受付で申請書をもらい必要事項を記入し2,550円の印紙代を
支払い、視力などの適性検査ののち写真撮影。その後約15分で新しい運転免許証が
交付されました。

一般の人は間に講習がありますが、私は7月に高齢者の「講習予備検査(認知機能検
査)」と「高齢者講習」を受けて、「高齢者講習終了証明書」を貰っているので講習はなく
受付けてから30分足らずで終了しました。
しかし今後は3年毎の更新です。個人差はあるでしょうがこの年齢になると半年先だって
自分の体がどう変化しているか予測できませんから3年はいいところでしょう。


新しい運転免許証は、IC運転免許証でその特徴は偽変造防止とプライバシー保護の
為との事で本籍地の記載がなく、4桁の暗証番号を2組届け出なければなりません。
また確か以前は認められなかったと思いますが、眼鏡をかけての写真が認められまし
た。(私は裸眼でも検査が通るので以前は眼鏡をかけての写真は認められなかったと
記憶していました)この方が普段の顔なので落ち着きがよくなりました。

今迄ずーっと優良ドライバーできましたので、これからも無事故無違反を目指して慎重
な運転を心掛けるよう努力したいと思っています。

写真は、庭の草花                           2011.09.12(月) 




本当は昨日から妻と佐渡ヶ島に旅行のはずでした。
ところが普段の心掛けが悪いせいか、どんぴしゃりで台風12号にぶつかり船が欠航
したため中止になってしまいました。残念ですが仕方がありません。

そういえば、3月18日から房総方面に一泊で行く予定でしたがこれも3月11日に発生
した東日本大震災のため鉄道が止まり中止になってしまいました。 自然の脅威には
敵いません。従うしかないのです。
考えようによっては、楽しみが先に延びたと思えばそれでも良かったと思っています。

しかし今、台風は山陰沖を時速10kmという非常にゆっくりとした速度で各地に被害を
もたらしながら北北東に向っています。 台風情報をTVで見ながら被害が最小にとどま
ってほしいと祈っています。
                      2011.09.04(日)
写真は、台風の影響で赤く染まった今朝5時4分の北の空



明日から地元小学校の授業が始まり、私たちの見守りパトロールがまた始まります。
真っ黒に日焼けし、ちょっぴり背が伸びた学童達の元気な顔に会えるのが楽しみです。

残暑が厳しい中、家人といつものウォーキングに出かけました。 東川では鯉がおよぎ
川辺にはカンナの花が咲き乱れていました。
航空公園に入った途端、周囲の木々から耳を聾する程の蝉しぐれが降ってきました。
今年の夏は、街中で蝉の鳴き声が少なかったので心配していましたが安心しました。


話は違いますが、菅総理の退陣表明を受けて今日、民主党の両院議員総会で新代表
選出が行われ上位2人の決選投票の結果、野田佳彦氏が新代表に選出されました。
そして明日の衆参両院で首班指名選挙が行われ野田氏が新首相に指名される見通し
です。 もうイライラはたくさんです。

今度はどんな陣容でどんな政治をしてくれるのでしょうか。増税はしばらく無理でしょう。
何はともあれ東日本大震災の復興をはじめ日本国民が元気になれる様な政治を期待
します。
                               2011.08.29(月)
写真はミンミンゼミ(半翅目セミ科)航空公園にて




 
日本経済新聞朝刊の「私の履歴書」はいつも興味深く読んでいますが、今月は日本画
家の小泉淳作(じゅんさく)画伯の履歴書です。
今日の記事では鎌倉・建長寺の吉田正道管長から法堂(はっとう)の天井(縦10m・
横12m)いっぱいの巨大な龍(雲竜図)の画の依頼があり、その時の資金調達などを
含む様々な苦労話が掲載されています。


話は違いますが今月4日~5日に家族で鎌倉・江の島を訪れ、その折建長寺を参拝し
この「龍の天井画」を拝観し写真(上の写真)に収めてきました。
この「雲竜図」(法堂天井画 )は平成15年(2003)横川電気㈱の寄進で完成し、修行
僧に仏法の教えを雨のように(法雨)降り注ぎ仏法の恵みを与えるとされています。


この「鎌倉と江の島の旅」の様子を「日本の旅」編に掲載しましたので、お時間がござい
ましたらご覧ください。                      2011.08.27(土)
写真は、建長寺・法堂の天井画「雲竜図」           




 
昨日、浜松市の天竜川で川下りの船が転覆して2人が死亡し、船頭を含む3人が行方
不明となる惨事が起こりました。 天竜川では今日も捜索が続いています。

私たちも一昨年の10月、寸又峡に行く途中に同じ天竜川下りをしました。生憎雨が降
っていましたが、乗船する前に救命胴衣の装着方法が丁寧に説明され、全員の着用を
確認してから乗船しました。(下の写真)
 

今回は暑いからとの理由で着用しなかったそうですが、しっかりと着用していれば・・と
悔やまれてなりません。
せめて行方不明者が無事であって欲しいと祈っています。   2011.08.18(木)
写真は、天竜川の事故現場付近(上)と救命胴衣を着用した乗客(2009.10.26) 





 戦前から活躍された懐かしい歌手の二葉あき子さんが今朝亡くなりました。 享年96歳   
 いま持っているCDの中から彼女のヒット曲を抜粋して聞きながらこの文を打っています。

 昭和11年(1936)春コロムビアの専属となり「愛の揺り籃」が最初のレコードだったそう
 ですが、私が知ったのは近江俊郎との「黒いパイプ」(昭和21年9月発売)で以後、「別れ
 ても」(21年10月)、「バラのルンバ」(22年1月)、「夜のプラットホーム」(22年2月)、「フラ
 ンチェスカの鐘」(23年6月)、「恋の曼珠沙華」(23年7月)、「さよならルンバ」(23年11月)
 「恋のアマリリス」(24年3月)、「水色のワルツ」(25年2月)など相次いでヒット曲を出しま
 した。
 「バラのルンバ」以外は持っていて今、懐かしい歌声を聴いているところですが、「フラン
 チェスカの鐘」は女優の高杉妙子さんの台詞入りの貴重品です。なぜ貴重品かというと
 この台詞の評判が悪かったので翌年、台詞抜きで吹き込み直して発売されたからです。

 改めて調べてみたら戦後は、昭和27年(1952)頃まで毎年4~5曲のペースで新曲を出
 しています。この頃はもちろんカラオケ等なく街で流れている唄を聞いて自然に覚えたも
 ので上記の曲などはほとんど歌詞まで覚えています。これは私ばかりでなく同年代に育
 った人々はみな同じだと思います。 ほかに娯楽が少なかったせいだと思います。
 今は一つの新曲を唄えるようになるには四苦八苦しています。 齢のせいでしょうか・・・

 
 記録によると、二葉あき子さんの死によりNHK紅白歌合戦の第一回(26年1月3日)に
 出場した歌手のうち存命者は記念すべき歌唱者第一号と言われる菅原都々子さんただ
 一人となったそうです。


 二葉あき子さんのご冥福をお祈りいたします。          2011.08.16(火)




 
7月9日のこの欄で節電に対応して色々と工夫をしている事を記しましたが、8月分の
電気料金が出ましたので報告します。

昨日の東電の8月分検針票(上記の表)で昨年比15%減少していると出ました。
今月の「お知らせ」からこの様な表記がされるようになりました。

因みに先月は計算してみたところ昨年比33%の減少でした。
これは先月が天候不順で気温が低くエアコンをあまり使わなかった為と思われます。


反面、今月はTV等でも熱中症予防の為あまり我慢せずにエアコンを使用するように
呼びかけが行われたので、我が家でも使用量が増えたのではないかと思っています。
それでも色々な努力で昨年比15%の節電が出来たことは評価して良いと思います。

また、7月のガス使用量は昨年比約17%の減少でした。
これからも節電、節水、節エネルギーに努めたいと思います。

                                     2011.08.13(土)




台風9号や10号の影響で、関東地方も湿度の高い鬱陶しい日々が続いていますが、
4日~5日と鎌倉・江の島に行ってきました。

以前にも何度か訪れている地ですが、今回は泊りがけで時間をかけ観光してきました。
早朝出発し北鎌倉に到着したのは午前9時前、圓覚寺~建長寺~鶴岡八幡宮とまわり
小町通りで早めの昼食とショップ巡り。 江ノ電を利用しながら長谷寺から高徳院では
大仏様を参拝し胎内を見学しました。
埼玉等では雨が降ったようですが、お天気には恵まれて江の島に着いたらにわか雨に
遭遇しましたが水族館を見学し4時過ぎに予約先の宿に入りました。

よく早朝、人けのない東浜海水浴場を散策し朝食後は江の島島内観光とショッピング。
正午、小田急電鉄の片瀬江ノ島駅から帰途につきました。

若い時から何度も訪れた江の島ですが、今年は天候不順のせいか海水浴客も疎らで
とても寂しい気がしました。又以前には有った片岡鶴太郎さん関連のショップが無くなっ
てしまったのも残念でした。


この旅の様子は編集をして後日「日本の旅」編に掲載いたします。
写真は鎌倉の大仏様(高徳院)                  2011.08.06(土)



今日から8月に入りました。
航空公園ではようやくセミの合唱が聞かれました。セミの抜け殻もたくさん見かけまし
たが、一方うまく羽化できずに地面でもがいている可哀そうな姿もあちこちで見かけま
した。
天候が不順で今年の夏はとても短いような気がしてなりませんし日本各地でこれ以上
災害が起きません様に・・・・

話は違いますが、昨日は埼玉県の知事選でした。結果は現職知事の3選でしたが投票
率はなんと全国知事選最低の24.89%でした。今までの最低記録は1981年の千葉県
知事選の25.38%だそうです。
埼玉県民で投票所に出かけたのは有権者の4人に1人弱とはなんとも情けない話です。
争点や盛り上がりのない選挙戦でしたが棄権はいけません。
写真は航空公園にて                       2011.08.01(月)



台風が去り関東地方は爽やかな一日、妻といつものウォーキングに出かけました。
途中、東川を何時ものように覗き込むとなんと嬉しいことに鯉が戻ってきていました。

お孫さんと一緒に川を覗いていたご近所のおじいちゃんは、「台風の雨で上流から流
れて来たらしい」と言っていましたが、兎に角喜ばしいことです。 2011.07.22(金)
鯉がいなくなった時、「中国人が全部盗っていってしまった」と言う噂が公然と流されて
いました。まさかとは思いますが、この付近は禁漁区にもなっています。せっかく戻って
来た鯉が再びこの付近で繁殖し自然豊かな東川が楽しめるよう心から願っています。


話は違いますが、3月に受けた人間ドックで精密検査が必要と言われたもう一か所は
「右眼、網膜斑状出血があるので眼科で経過観察してください」との事でしたが、先日
精密検査を受けた結果、「左右の眼とも良好で異常は全く見受けられません」 と診察
されました。よかった・・。

写真は、戻ってきた東川の鯉                    2011.07.23(土)



文科省(文部科学省)所管の科学技術振興機構(JST)が20日、東京工業大の細野
秀雄教授が開発し、同機構(JST)が保有する新型半導体技術に関する特許を韓国
のサムスン電子に供与する契約を結んだ。 と言う記事が新聞で報道されました。

報道によると、この技術は液晶テレビや有機ELテレビの高解像度化のカギとなる国
産技術で、サムスン電子では1~2年後を目標に、新型液晶表示装置(LCD)を商品
化するということです。

細野教授は 「研究開発や実用化に最も積極的に取り組んだのがサムスン電子で、
日本企業を排除したわけでない」と説明しているそうですが、国の研究費で開発した
最先端技術を日本企業を差し置いて海外企業に先行供与した事にびっくりしました。


細野教授は、今回の技術を2004年ごろに国の研究費を使って開発、研究を支援し
てきたJSTが特許を保有していたそうです。

具体的な契約内容は非公表ですが、JSTなどは売上高の数パーセントを受け取る
見通しで、非独占での契約なので現在は国産メーカーとも話を進めているそうですが
私には納得できません。


資源が乏しい日本は観光立国とともに科学技術立国が国家戦略の柱の筈です。
それをなぜライバル韓国の企業に先行供与する必要があるのですか。
しかも国の予算を使って開発した先端技術をです。

東日本大震災から立ち直ろうとしている最中、国会では相変わらず菅総理の不毛の
答弁で見ている私たちまでいらいらしているところに、このようなニュースが報道され
一層いらいらがつのります。                  2011.07.21(木)
写真は、今年も豊作そうな庭のイチジク(無花果)



見ましたか? 遂にやりましたね。感動しました・・「なでしこジャパン」が世界一です!!
午前3時前から起きてTVにかじりついていた甲斐がありました。


試合開始より白い壁のように立ちはだかるアメリカチームにボールを支配されましたが
日本はよく耐え、後半に先制のゴールを取られましたがよく追いつき延長戦に入り再び
リードされましたが、徐々に動きのよくなった日本はMF澤穂希が同点のゴールを決め
PK戦に突入、日本のGK海堀あゆみがよく守り、アメリカを3-1で破り見事にワールド
チャンピオンに輝き「金メダル」を獲得しました。

そして 今大会5得点をあげた澤穂希選手は得点王とMVPを獲得しました。
私が特に印象に残ったのは、PK戦でよく守り抜いたGKの海堀あゆみ選手でした。
海堀選手はこの試合の最優秀選手(プレーヤー・オブ・ザ・マッチ)に輝きました。
また日本チームにはフェアープレー賞が贈られました。これもとても嬉しい事ですね。

昨日、「縄跳び」の事を書きましたが、まさに身長で劣る「なでしこジャパン」は最後まで
運動量を維持し、動きの鈍くなったアメリカに追いつきPK戦を制した見事な優勝でした。

                                     2011.07.18(月)



大相撲名古屋場所の8日目、贔屓の高見盛が長い相撲の末朝赤龍に裾払いで敗れ
1勝7敗となってしまいました。
幕内東14枚目ですから残り全部を勝たなければ厳しい結果となり幕内生活に終止符
を打たなくてはならないでしょう。
大相撲は数々の不祥事や東日本大震災の自粛ムードもありスポンサーからの懸賞も
減る中を長い間、高見盛の取り組みには「永谷園」が懸賞をつけ続けてくれましたが、
それも高見盛りが十両に落ちれば見られなくなることでしょう。
高見盛には残りの7日間、悔いのない相撲を取って欲しいと願っていますが、今日の
相撲を見ている限りは体力の衰えが目につきました。 寂しいことですが勝負の世界
ですから仕方がありません。

話は違いますが、日本時間の明日早朝、サッカーの女子ワールドカップの決勝戦で
「なでしこジャパン」 が強豪アメリカと対戦します。
先日のスウェーデン戦で身長差では劣る「なでしこジャパン」は圧倒的な運動量の差で
ボールを支配し快勝しました。


昔、私は疎開先の甲府市で、義姉の通う女学校の運動会を見に行き、7~8人で競う
「縄跳び」で背の高い生徒から順に息が切れ、最後は一番小柄な生徒が勝つのを目
にしました。 このシーンはいまでも鮮明に記憶に残っています。


身長では「なでしこジャパン」はアメリカ勢に劣りますが、「縄跳び」ではありませんが
運動量を維持しゴールを目指し是非とも金メダルを持ち帰って欲しいと願っています。
もちろん、早起きしてTVにかじりつき応援します。
       2011.07.17(日)



今日の未明、午前3時前から早起きしてTVにかじりついていた甲斐がありました。
フランクフルト(ドイツ)で開催されているサッカーの女子ワールドカップ(W杯)の
準決勝で「なでしこジャパン」は強敵「スウェーデン」に見事3-1で快勝し、決勝に
進出しました。

開始後10分、スウェーデンに先制点を取られたものの19分に川澄奈穂美が同点
ゴールで追いつき、後半に沢穂希が勝ち越し点、さらに川澄がこの日2点目を決め
圧倒的な運動量の差でスウェーデンを突き放し準決勝に勝利しました。

決勝戦の相手はアメリカで、過去25回対戦して日本は一度も勝ってはいませんが
今日の「なでしこジャパン」の戦いぶりを見ていると、日本時間18日未明に行われる
決勝戦では大いに金メダルを期待できそうです。        2011.07.14(木)



4年前、池の金魚の大半がアオサギ(下の写真)に襲われ喰われてしまいました。
最初は金魚が一匹も見えなかったので全部喰われてしまったかと思いましたが、やがて
石の陰から恐る恐る数匹が姿を見せましたが、しばらくはすっかり怖気づいていました。

それ以来、池に鳥よけの網をかけていましたが、網が直接水面にも掛かってしまう上、
金魚たちも増えてきて窮屈そうなので、先日100円ショップで園芸用の支柱を購入して
一昨日写真のように組み立て、その上に網をかぶせました。

水面が広くなり、空が高く?なったせいか十数匹に増えた金魚たちも心なしか喜んで
いる様で安心して水面に顔を見せています。

我が家の池の水は循環させているわけでなく、雨水と時折水道水をホースで補給して
いるだけですが、生き物がすんでいるため一定の水質が保たれています。
金魚たちもみんな元気で最近何年かは病気で死ぬこともなく年々数が増しています。

私はどちらかと言うと不器用な方ですが、家人と30分ほどで組み立てたこの鳥よけの
出来栄えには満足し二人して悦に入っています。 心配はこれからの台風シーズンを
無事に乗り越えられるかです。

                                     2011.07.12(火)
下の写真は東川でのアオサギですが、これを我が家の池で見た家人たちは本当に
びっくりしたそうです。



我が家でも節電に対応しようと色々な事を実行しています。
中には「そんな事は、もうとっくにやっているよ」と言われることもあるかと思いますが
第一に、必要以外の照明器具は点灯しないことです。
風呂は明るいうちに入り照明は点けない。 トイレや洗面所も明るい内は点けない。
門燈も今までは明るさに反応する自動点灯でしたが、朝夕玄関の照明と一緒に点滅
するようにしました。
新聞や本を読むときも家人と一緒に大きなテーブルを使い、出来る限り一つの照明
で済ませます。もっともこれは以前からしていた事ですが。

ついいつもの習慣で明るくても入れていたトイレや洗面所のスイッチをやっと入れなく
なりました。
LED電球は使う場所が今はないので残念ながら使っていません。

次にエアコンですが、ダイニング・キッチンとリビング・ルーム合わせて約56㎡に設置
のエアコンは扇風機と併用で設定温度は28℃にしていますが、近くのカーテン屋さん
にお願いして昨日、間に間仕切りののカーテンを取り付けてもらいました。
費用は掛かりましたが、食事も終わりテレビを見たりパソコンを使用する時は間仕切
りのカーテンを引き少しでもエアコンの効率が良くなるのではないかと期待しています。

関東地方も今日梅雨明けしたようです。これから夏本番で暑い日々が続きそうですが、
節電の効果が目に見えてきたら結果を掲載いたします。


それから、これは節電とは関係ありませんが最近夫婦のどちらかが読み物やパソコン
をしている時は、TVやオーディオの音声はヘッドホーンで聞くようになりました。
写真は取り付けたカーテン                     2011.07.09(土)



 
何かと多忙な日々が続きホームページの更新がままなりません。
そんな中、今日は運転免許証の更新を10月に控えて、高齢者の「講習予備検査
(認知機能検査)」と「高齢者講習」を受けてきました。これを受けなければ免許証の
更新ができないのです。予約制で費用は両方合わせて6,000円かかりました。

【講習予備検査(認知機能検査)】は記憶力・判断力などに関する検査で約30分で
引き続き【高齢者講習】で【講習予備検査】の結果に基づいて行われます。内容は
講義とビデオによる座学、検査器を使って行う運転適性の指導、最後に実車による
運転の指導と盛りだくさんで約2時間30分。 合計3時間余りの講習会でした。


講習予備検査(認知機能検査)】の私の成績は受講者中唯一人の満点だそうで、
「記憶力・判断力に心配ありません」でした。(総合点 -2.842点でこれが満点との事

視野測定】の結果は左右とも視野角度82度、両眼視野角度164度あり、見えない
おそれがある個所は左右とも0箇所でした。

静止視力】は両眼1.2で問題はありませんが、【動体視力】は場合により問題がある
そうで、疲労したときや夜間等に視覚能力が低下しやすいので特に注意して下さい
との事でした。

【運転適性結果】は同年代との比較で
選択反応】では「判断動作はやや早い」、「判断はほぼ正確」、「反応むらは普通」。
注意配分・複数作業】では「注意の集中分散はほぼ正確」、「反応むらは普通」、
「認知判断の速さはやや速い」、「注意のバランスはやや偏りあり」でした。
運転適正結果の総合判定では、同年代との比較では「やや優れている」、30~59歳
との比較では「普通」との事でした。

実車による【運転行動診断票】では「カーブや交差点などはもう少し手前までに確り
したブレーキで減速して巻き込みや出会い頭に注意して下さい」との事でした。

最後に、無事「高齢者講習終了証明書」をいただいてきました。

雨の日などには息子や孫たちを駅まで送って行ったりしています。これからも講習
での指摘を心して慎重な運転を心掛けて無事故を続けていきたいと思っています。


話は違いますが、松本復興相の一連の言動には開いた口がふさがりません。詳細は
TVや新聞で報道されているので省きますが、こんな人が今一番大事な復興の役割を
担う大臣とは・・・。 菅総理の任命責任も含めて又またこれからの国会が紛糾します。

不幸なことです。                          2011.07.04(月)
写真は「ヤマモモの実」(ヤマモモ科)近くの公園で



先日20日、ドイツのハンブルグで開催中のスーパーコンピューターの国際会議で、
計算速度を競う世界ランキング「TOP500]で、理化学研究所と富士通が共同で
開発中のスパコン「京」(ケイ)が1秒当たり8,162兆回の計算能力を示して世界
ランキング第1位になりました。 2004年にNECが開発した「地球シュミレータ」が
第1位にランキングされてから7年目でした。
現在の世界第2位は、昨年11月に中国として初めて首位に立った国立・天津スパ
コンセンターの「天河1A」の毎秒2,566兆回で、日本は計算速度で約3倍の差を
つけ更に来年6月までに毎秒1京回の計算速度をめざします。

しかし、このスパコン開発には多額の費用がかかり、今回の「京プロジェクト」開発
では日立製作所とNECが離脱し、富士通が1社で数百億円を負担、また多額の国
費が投じられるため、一昨年の「事業仕分けチーム」では予算が一時凍結判定とさ
れ、蓮舫行政刷新担当相の「2位じゃ駄目なんでしょうか?」の発言は今でも記憶に
残っています。


スパコンは大量のデータ処理が必要な各種実験のシミュレーションや新薬開発など
科学・化学など幅広い産業分野での国際競争力の強化につながります。
ここをどう利用し国益にもつなげていけるかは今後の課題になりますが、私たちも
科学技術立国・日本の今後を大震災の復興と共に楽しみに見守っていきます。
                                  2011.06.24(金)
写真は、庭のメドー・セイジ(シソ科)



 
昨日は五月の第三日曜日、日本中「父に日」でした。
私にも毎年息子たち家族から色々なプレゼントが届けられます。
以前は着る物や電気製品などそれぞれが私を喜ばせようと工夫してくれましたが
私も身の回りに物が溢れているし着るものも大事に長く使っているので、もう新しい
物はいりません。
そこで最近では、私から注文した靴下(よく歩くので安くて丈夫な綿製品)や前掛け
(私は料理が好きで毎日何度もキッチンに立つのでお嫁さんが手作りしてくれます)。
また後に残らないようにケーキ(ビール好きな私はおつまみに甘いものが大好き)や
ビール等、おなかに収まってしまう飲食物になりました。

昨日はケーキと一緒に古典落語「王子の狐」にも登場する慶安元年(1648)創業の
老舗割烹、王子「扇屋」の卵焼きも届けてくれました。

もう何にも贈ってくれなくてもいいよ、気を使わなくてもいいよ、とは言いながら贈られ
ると、その気持ちが嬉しく、反面私のためにそんなお金は使わずに自分の家族の為
に使って欲しいと思う今日この頃です。
            2011.06.20(月)
写真は、庭の龍の髭(リュウノヒゲ)の花(ユリ科)



 
私が関わっている、学校関係の今年度前半の行事も徐々に消化されてきました。
パトロール隊総会、学校開放委員会総会、小・中学校後援会総会と続き、前半はあと
「地区の7校後援会連絡協議会」と「中学校区安全・安心な学校と地域づくり会議」 が
大きな行事で、これらが終われば夏休みに入ります。

そう云えば、運動会も5月に終わってしまいました。私たちの頃は運動会と言えば秋が
定番のようでした。
5月開催だと、4月初旬に新入学や進級した学童たちが未だ落ち着かないうちなので
どうかと思いましたが、秋は文化祭、展覧会、音楽会や遠足そして学年によると受験
などが絡むので大きな行事は分けてバランスを取っているようです。


学校関係だといっても小・中学校後援会総会のあとは懇親会でアルコールが入ります。
若いときはかなり飲めたのですが(もっぱらビール専門です)最近では余程セーブして
飲んでいますが、宴席ではそうもいかず注いだり注がれたりで翌日に多少残るように
なりました。
でも、そんなお陰で地域デビュー7年にして、地元の方はもとより大勢の知人・友人を
得ましたことは何よりの宝だと思っています。

話は違いますが、先日は「政界のごたごたも先が少し見えて来たようなので」などと
書きましたが、とんだ見込み違いで「菅総理」はもの凄い粘り腰で生き返ってしまい
ました。これには自民党も当面打つ手がないようです。一寸先は闇と言われる政界
ですが、大震災への復興に関しては素早く的確に粛々と進めて欲しいものです。

写真は、庭の紫陽花                      2011.06.18(土)



 
 暖かくなり(今ごろ変な言い方ですが、気候が不順で数日前には洗濯物の為に暖房を
使いました)政界のごたごたも先が少し見えて来たようなので、自分たちで決めている
いつものフルコース・ウォーキングに出かけました。
途中の東川には、相変わらずカルガモと亀はいましたが鯉の姿は見えませんでした。
航空公園ではヤマグワの実が熟し、ユリノキがぼちぼち咲き始めヤマボウシは満開。
池にはムギワラトンボの姿が見えました。(ムギワラトンボ=シオカラトンボの雌♀)
全行程は約8キロですが、体調が良くないと走破出来ません。寒さには負けませんが
暑い季節は、熱中症が話題になってから極力避けるようにしています。雨はだめです。

一口に8キロと言いますが、出かける時にはそれなりに決心をします。少し大げさかも
知れませんが、私たちにとってはマラソンに出発するようなものです。そのため楽しみも
用意してあります。 このフルコース・ウォーキング時の楽しみは途中での昼食です。

あと何年揃ってフルコースを歩けるかわかりませんが、途中での昼食をエサに妻を誘い
末永く続けたいと思っています。                   2011.06.06(月)




本当にびっくりしました。 
如何な魑魅魍魎と言えども
昨日から今日にかけての
菅総理には到底かなわな
いでしょう。

誰だって、昨日の午前中に
開かれた民主党代議士会
を見ていたら菅総理が退陣
を示唆したと確信します。
それは菅おろしを目論んで
いた一部の民主党党員も
同様だったことでしょう。

その為、午後に開催された
衆議院本会議で自民党など
野党三党が提出した菅内閣
に対する不信任決議案は、
菅総理の言葉にすっかり騙
された前記の民主党党員が
反対票を投じたため否決さ
れてしまいました。
 
 
しかし、どうでしょう 不信任案が否決され首が繋がったとたん菅総理は、退陣するなど
とは一言もいっていないと・・・。 「一定の目途が付くまではやめない」と。正気ですか。
民主党代議士会を開催する事に関し奔走した鳩山前総理までもこれには吃驚仰天・・
そして今日も朝から菅総理に対して与野党双方から激しい批判が相次いでいます

今、TVで国会中継を見ていますが、権力にしがみつく菅総理の不毛の答弁を聞いてい
て本当に恥ずかしくなりました。この人がわが日本国の総理であることに。
TVでは今も菅総理がのらりくらりと訳のわからない答弁を繰り返している最中です。
写真は、昨日の衆議院本会議より       2011.06.03(金)午後4時20分



昨日は息子達四人と食事やお喋り、締め括りにはカラオケと楽しい一日を過ごしました。
みんな四十代の働き盛り、忙しい中をやりくりして私たち夫婦を招待してくれました。
当初は、子供のころよく連れて行った黒山三滝に連れて行ってくれる計画だった様ですが
生憎、天気予報も荒れ模様だったので、変更して多摩湖畔の中国割烹「掬水亭」(きくす
いてい)でゆっくり昼食をした後、友人が館長をしている 「所沢郷土美術館」に立ち寄り
折から開催中の 「松本珍男子絵画展」を鑑賞し、最後は近くの「シダックス」でカラオケ。

それにしても、私たちが歌う曲は息子たちもみんな知っていましたが、息子たちの歌う曲
は全く分かりませんでした。 思えば息子たちの青春時代は私たち夫婦にとっては忙しい
時で歌どころではなかったのかも知れません。これはいつの時代でも同じなのでしょう。

あまり楽しかったの毎年やって欲しいと言い出しましたが、みんな忙しいので日程のやり
くりで苦労しそうです。しかし2~3年に一度では私たち夫婦の年齢を考えるとあと何回も
出来ないなどと、ちょっぴり寂しい気持ちになりましたが・・・、とても嬉しい一日でした。
写真は、掬水亭で                           2011.05.30(月)



 
先週の18日(水)に大腸ポリープを内視鏡により切除し、結果が今日出ました。
幸い切除したポリープは良性でした。とても嬉しかったです。
今後も毎年、人間ドッグ健診を続け精密検査が必要なら受けます。

先日亡くなった児玉清さんも亡くなる前 「去年胃カメラ検査をしておけばよかった・・」と
語っていたそうですが、まさに 「あとの後悔、先に立たず」 です。残念なことです。
あの時ああしていればよかったのに・・・と言わずに済むようにしましょうね。
写真は庭のザクロの花                        2011.05.25(水)



 
落語の「しの字嫌い」ではありませんが、菅総理が国会答弁で口癖の「私なりに頑張って」
「私なりに一生懸命やってきている・・・・」が封印されてしまいました。
国会中継は出来るだけ見るようにしていますが、今日の「衆議院東日本大震災復興特別
委員会質疑」で公明党の石田祝稔(のりとし)議員が菅総理に 「総理が頑張っているとか
一生懸命やってきている・・・・などは当たり前のことで自分からはもう言わない方が良い、
それは周りが評価すること・・・」 と言われ口癖が封印されてしまいました。

最後の園田博之議員(たちあがれ日本)との質疑の中で菅総理はいつもの口癖が出そう
になりましたが、辛くも 「私なりに踏ん張っているつもり・・・」 と逃れ、会場の議員たちの
失笑を買いました。
些細な事ではありますが、今後の国会の答弁にどう影響するのか注目します。
写真上は石田祝稔議員、下は園田博之議員          2011.05.23(月)
 



 
昨日、私の人間ドッグの事で「今年の検診の結果、私には2箇所ほど精密検査の項目が
出ました。この事に関しては改めて後日、この欄に掲載いたします
」と書きましたが、実は
あの時午後から「大腸ポリープ切除手術」で入院する為の準備中にHPを記載したのです。

三月の人間ドッグ検診の結果、大腸内視鏡による精密検査の指示が出され内視鏡検査
の結果、8mmほどのポリープが一つ見つかり昨日、念のため入院して前記の切除手術を
受けました。 経過が良いため今朝10時頃に退院して、今コンピュータに向かっています。

切除したポリープが悪性かどうかは一週間後に結果が出ます。良性であることを願ってい
ますが、健診や内視鏡検査を面倒がったり恐れていてはなりません。実はポリープの切除
は3回目です。最初は7~8年前でその時のポリープからは「がん細胞」がみつかりました。
翌年も又ポリープの切除をしましたがその時は幸い良性でした。 そして暫く無かったので
すが、今年の人間ドッグで潜血が検出され久しぶりのポリープ切除手術だったのです。

昨日は児玉清さんが死亡されたこと、そして病院嫌いのせいか検査も受けなかったことを
書きました。多忙であったかも知れませんが、病院嫌いと言っている人には大変に失礼な
言い方かもしれませんが、そういう人は「臆病な人」だと私は思っています。

検査してどこか悪いと言われたらどうしよう。胃カメラや内視鏡の検査は怖くて嫌だ。など
だと思います。 検査や手術の苦痛はいっときです。それを逃げていて命を失ったのでは
何にもならないではありませんか。 勇気を出しましょう。みんな同じですから。

私も一週間後の結果が気になりますが、その時に応じて適切な治療をするだけです。
手を尽くしてそれでも駄目なら仕方がありません。    2011.05.19(木)午後2時半
写真は、庭のシラン(ラン科シラン属)



  本当にびっくりしました。 
 つい先日までお元気で
 「アタック25」の司会を
 していた児玉清さんが
 亡くなりました。
 いつも妻と楽しみに見て
 いますが、このところ4回
 ほど体調不良とのことで
 休まれ局の浦川泰幸アナ
 (39)が司会を代役していた
 ので心配していましたが、
 今朝の新聞で16日に胃
 がんのため亡くなったと
 知りました。 享年77歳。

 肝機能障害の検査・治療
 を受けていたと所属事務
 所では言っていたそうです
 が、胃がんが見つかり3月
 下旬から入院していたそう
 です。 
別の報道では、児玉さんが最初に体調不良を訴え診察を受けたのは昨年秋。胃カメラを
勧められたが、病院嫌いのせいか検査を受けず仕事を続けたそうで、 体調が再び悪化し
たのは今年2月下旬。 急に食欲がなくなり精密検査を受けた結果、胃がんと告知され、
すでに肝臓に転移していたとの事です。3月下旬に入院、手術しても手遅れといわれ抗が
ん剤を1回投与された。今月14日に起きあがれなくなり15日から意識不明となり最後は
家族に見守られ眠るように息を引き取ったそうです。

以前から度々この欄で人間ドッグの必要性を書いていますが、皆様方もご自分の為です
から是非とも年に一度は人間ドッグで健診を受けてください。私も毎年3月に妻と検診を
受けています。

今年の検診の結果、私には2箇所ほど精密検査の項目が出ました。この事に関しては
改めて後日、この欄に掲載いたします
。          2011.05.18(水)朝



 
やっぱりメルトダウン(炉心溶融)は起きていたのですね。 人類が核をコントロール
するのは並大抵な事ではありません。これからは自然エネルギーによる発電が増え
てきます。
ただ、風力などの不安定な自然エネルギーがウェートを高めてくると需要に合わせた
制御が難しくなるそうです。

今日の「参議院予算委員会集中審議」でも各党から「メルトダウン」に関する質問が
出されました。それと所謂「計画的避難」から取り残された家畜の処分方法について
も宮崎の時と比較されて杜撰だとの意見が出されていました。

それにしても自民党などの野党から質問を受けている時の菅首相の表情は、なんとも
情けない顔をしています。所謂仏頂面です。仮にも一国の首相ではありませんか・・・、
もっとシャキッとできないものでしょうか。
仏頂面(ぶっちょうづら)=無愛想な顔。ふくれっつら。広辞苑より

話は違いますが、一時帰宅の際の「自己の責任において云々・・」の署名は住民から
反発が上がったため「立ち入りに当たっては、十分に注意し、責任を持って行動します」
などと書かれた「確認事項書」への署名にと変更になったそうです。
いずれにしても相変わらずの”上から目線”ですね。
写真は「参議院予算委員会集中審議」国会にて          2011.05.16(月)



 
東日本大震災から2ヶ月が経過しました。
直後3月13日のこの欄で「どうかこれ以上の大惨事が起こりませんように願うばかりで
すが、不謹慎と叱られるかも知れませんが、死者(行方不明含め)は数万人に達してし
まうのではないのでしょうか・・」と書きましたが、不幸にして昨日(11日)現在の状況は
警視庁まとめで死者14,981人、行方不明9,853人となってしまいました。

先日から東京電力福島第一原子力発電所事故関連で、警戒区域になっている住民に
2時間の一時帰宅が実施されましたが、その際「自己の責任において立ち入ります」と
国からの同意書に署名を求められたそうです。
可笑しな話ですね・・・。国の命令で立ち入りを禁じられ、その国が一時帰宅を許可した
のに同意書とは・・・。 国は十分安全対策を取らなければならないのに、何かあったら
住民それぞれの責任だとは、ずいぶんと身勝手な話で呆れてしまいます。

それにしても天皇、皇后両陛下がご高齢のお身体でありながら連日のように被災地を
お見舞いされています。両陛下とも跪かれ被災者と同じ目線で一人一人にお言葉をか
けて励ましていらっしゃるお姿には本当に感動いたします。
被災者の皆様たちも随分と勇気づけられていることでしょう。有り難い事です。


中腰のまま両手を腰に当てての中途半端な菅総理のパフォーマンスとは大違いです。
写真は庭のオオムラサキ (ツツジ科)                2011.05.12(木)



   昨日、所沢生まれの俳人・
 画家「松本珍男子絵画展」
 が開催されている所沢郷土
 美術館に家族と出かけてき
 ました。

 折り好く松本画伯ご夫妻と
 お会い出来、作品に関す
 る想い等を色々と聴かせ
 て戴き、楽しいひと時を過
 ごしてきました。

 松本珍男子(ウツヒコ)氏
 狭山市役所、小川町図書
 館などに油彩画収蔵、また
 俳人としても活躍、現代俳
 人協会会員「阿吽」同人俳
 誌(月刊)の表紙絵を連載
 担当しています。


 この「特別展」は今月中の
 日曜・祝日に所沢郷土美
 術館で開催されています。
 詳しくは「こちらをクリック
 してご覧ください。
      2011.05.05(木) 
 写真は、特別展会場にて松本画伯(向かって右)と



 
友人が今年も自宅の竹林から掘りたての筍(タケノコ)をたくさん持ってきてくれました。
早速、家人が圧力釜で茹でて庭の野蕗(ノブキ)と身欠きにしんの煮物や「筍ご飯」を
つくります。これらに木の芽(山椒の新芽)を贅沢にあしらって旬の味覚を楽しみます。

今日はこれから3月に中止した所沢での「歌う部会」(ありていに言えばカラオケです)
に集い、久しぶりに仲間と元気に声を出してきます。
帰宅すれば「、筍ご飯」と「筍と鰊の煮物」が待っています。どちらもとても楽しみです。
写真上は戴いた「筍」と、下は庭の「野蕗」と「木の芽」      2011.05.02(月)
 
 
 



昨日、英国の王位継承順位2位のウィリアム王子と一般家庭出身のキャサリ・ミドルトン
さんがウェストミンスター寺院で結婚式を挙げました。(上の写真
報道によると、「将来の国王」が貴族階級でない一般家庭出身の女性と結婚するのは
1660年のヨーク公以来、約350年ぶりだそうです。また博士号を持つ妃も初めてで
結婚前の同居も前例がないそうです。
でも長い王室の歴史の中には色々な出来事があります。王室と言っても人間ですから・・

75年前の1936年(昭和11年)12月には、戴冠式を前にしたエドワード八世と離婚歴の
あるシンプソン夫人との禁じられた恋による有名な「王冠を捨てた恋」の事件があります。
当時、英国国教会では離婚が禁じられていました。 そのため王冠か結婚かの選択の末
エドワード八世は12月11日ラジオで国王を退位し新しく王座に就く弟ヨーク公への忠誠を
誓いました。 エドワード国王は退位してウィンザー公となりヨーク公はジョージ六世として
即位します。この時ジョージ六世の王女が現在の女王エリザベス二世で当時11歳でした。
そして今、映画で話題の「英国王のスピーチ」の主がこのジョージ六世です。


現在のチャールズ皇太子が一つ年上のカミラさんと知り合ったのは1970年頃だそうです
が、彼が英海軍に入隊したのをきっかけに一時疎遠になり、1973年にカミラさんが陸軍
将校と結婚してチャールズ皇太子も1981年にダイアナ妃と結婚しました。
その後の事はよく知られたことです。夫婦は1992年12月に別居し1996年8月28日に
正式離婚し、ダイアナ妃は1997年8月31日に36歳の若さでパリで事故死しました。
一方チャールズ皇太子は2005年4月に、30年以上に亘って交際してきたカミラさんと再
婚。戒律の厳しい英国国教会が、王位継承者が離婚経験者の女性との再婚を禁止した
規定を見直しました。

久しぶりに明るい話題の英国王室が今後どう継承されていくのか大変に興味があります。
                       
話は違いますが、昨日の読売新聞に入っていた折り込み広告は54枚でした。久しぶりに
入っていた大量の広告が日本経済の復興を予感させるものであって欲しいものです。

                                       2011.04.30(土)
写真は 「ギンギアナム」 またはキンギアナム(ラン科デンドロビューム属)



 4月も残り3日となりました。
 東日本大震災から49日です。

 
 私の知人は、陸前高田で奥様
 の母上が亡くなり、今日合同の
 49日法要が営まれるため現地
 に向かいました。
 まだ、ご遺体が確認されない為
 今後、DNA鑑定を待つそうです。
 一刻も早くご遺体の確認が出来
 る事を祈っています。
 
 
 話は違いますが、私自身何か
 と忙しい日々が続きました。
 特に地域の学校関連では新年
 度に当たり、入学式への出席、
 教職員の移動に関わる行事や
 後援会関係、ホームページの
 作成、ボランティア関係の打ち
 合わせ等々。

 
 これからも5月一杯、公私共に
 多忙な日々が続きそうです。
        
         2011.04.28(木)
写真は、庭のハナミズキ                       



 
東日本大震災から1か月、ようやく春らしい暖かさになってきました。 新年度が始まり
ピッカピカの1年生を真ん中にした小学生の群れが元気よく挨拶して登校して行きます。

話は違いますが、「所沢郷土美術館」で恒例の「特別展」が5月に開催されます。

今回は所沢生まれの俳人・画家「松本珍男子(ウツヒコ)絵画展」です。
「所沢郷土美術館」は平成16(2004)年12月10日、国の文化審議会によって文化財
保護法に基づき所沢市初の国の「登録有形文化財」に登録されました。


美術館では郷土の一流芸術家の作品が常設展示されていますが、毎年「特別展」が開か
れ今年は「松本珍男子絵画展」です。入館料は常設展、特別展とも無料です。
春の一日をご家族連れで訪れてみては如何でしょうか・・・。

開館日時・所在地、常設展・特別展等詳しくはこのホームページの「所沢郷土美術館」で
ご覧ください。                            2011.04.13(水)
写真上は特別展のポスター、下は作品「エッヘル塔」
 
 



 
昨日、早中仲間恒例の観桜会をいつもの新宿御苑で催しました。
私は、地元小学校の入学式に参列してから駆け付けたので30分ほど遅刻をしました。
生憎の曇り空でしたが、満開の桜を楽しみながら三々五々そぞろ歩き中の仲間たちに
ようやく追いつきました。
そして、昨秋亡くなった恩師の奥様を囲んで芝生に座り、周囲に気を配りながら隠し持
ってきたアルコール等を飲みサンドイッチやおにぎりを頬張りながら一年ぶりの再会を
楽しみました。
例によって集合写真は、たまたま近くで写真を撮っていた女性に声をかけてシャッター
をお願いしました。 この集合写真で来年また「観桜会」の案内状を作成します。

昨年の観桜会の時のこの欄でも書きましたが一作年から御苑内の売店でのアルコール
類の販売がなくなった上、持ち込みも禁止となりました。係りの方に伺ったところ、「毎年
アルコールが原因で救急車で運ばれる人(特に若い女性)が多々あるので、このような
ことになりました」との事でした。
それなら御苑内のレストランでもアルコール類は出さなければよいのにと思います。

この後、都合のつく仲間は千駄ヶ谷にあるレストランで軽食とアルコールを楽しんでから
午後3時半過ぎ散会しました。
 
花より団子(だんご)ではありませんがアルコール気なしでは、しかも男同士のお花見は
味気ないもの。 「来年は先ずレストラン等でアルコール(もちろん食事も)を済ませから
御苑に繰り込もう」と話が纏まりつつあります。


例年、私がクラスの名簿作りと「観桜会」の案内状作りを担当していますので、皆さんの
意見をよく聞いてみたいと思っています。            2011.04.09(土)




昨日は私たちが結婚して満50年。息子たちが企画してくれた「金婚式」を目白台の
椿山荘(ちんざんそう)で開催し、家族16名(サッカーの合宿等で2名は不参加)が
一堂に集い賑やかなひと時を過ごしました。

約二万坪の見事な庭園には桜も咲き始め、夕暮れ前の園内を楽しむ大勢の家族
ずれに混じって私たち家族も三々五々(さんさんごご)お庭を一巡りしてきました。
そして6時過ぎから椿山荘内レストランの個室で、フランス料理とワインや飲み物で
ディナーを楽しみながらの3時間余り、賑やかに楽しく宴の時を過ごしました。

結婚した当時は、まだ「人生50年」などと言われていましたから、金婚式の事など
思ってもいませんでしたが・・・、有り難い事です。
これからも一日一日を無駄にせず、妻と共に大切に生きていこうと思っています。
また、この度の「金婚式」を企画してくれた家族たちには心から感謝しています。

東日本大震災による大災害の最中ですが、以前から計画し妻はもとより家族たちも
楽しみにして呉れていた行事ですから、自粛などせずに実施しました。
上下の写真は、いずれも椿山荘にて                 2011.04.03(日)
椿山荘は、明治の元勲・山縣有朋(やまがた ありとも)公爵が明治11年(1878)に
私財を投じて築庭して「椿山荘」と命名しました。




 
先日20日、私の身の回りでもいろいろな行事が中止になっている事を書きましたが、
その続きです。 小中学校ではこれから教職員の移動が発表され、それに伴い例年
PTAや後援会の役員、各関係者共催での「教職員歓送迎会」が行われますが、これも
今年は中止になりました。
私の住んでいる地域の「自治会総会」も公民館が使えないとのことで延期だそうです。
一つには計画停電の為ですが、もう一つはこんな大災害の最中だからと言う訳です。

でも、みんなで自粛自粛と言っていたのでは地元はもとより日本の経済が自粛ならぬ
委縮してしまいます。
「教職員歓送迎会」などは参加者全員がささやかな実費で行う行事ですから実施したら
いいではありませんか・・・と思います。


私たち夫婦も18日から出かける予定だった房総方面への一泊旅行を中止しましたが
それは交通機関が動かなかった上、地震の直後で房総方面も危険があったからです。
その替わり中止した旅行代金の一部を、18日にもこの欄で書きましたが日本赤十字社
宛に「東北関東大震災義援金」として託しました。

義援金も助け合いなら、消費する事も助け合いです。「金は天下の回り物」です。(本来
の意味とは少し違いますが・・)みんなでお金を回す(使う)ことが今は必要なのです。

私事で恐縮ですが、私たち夫婦は結婚して今年で満50年になります。4人の息子達が
仕事で忙しい中、昨年から「金婚式」の企画を進めてくれています。 こんな時期ですが
後々、子や孫たちの記憶に永く残る良い出来事の一つであって欲しいと思っています。

写真は、庭のスノーフレーク                    2011.03.28(月) 




 
毎日どこかの時間帯で停電を覚悟していましたし、日に2度の停電の時もありました。
一回の停電は約3時間ですから2回あると6時間の停電になります。 昨日の停電は
午後6時半から3時間でした。計画停電とは言うものの午後の時間帯に停電するか
どうかは当日の昼ごろに発表になるので、私たちの計画はとてもたてにくいのです。
被災地の方に比べれば申し訳のないことですが、停電があると思うと一日中なんとな
く落ち着かない気分です。

私たちの地域は所謂第1グループですが、同じグループ内でも駅周辺の商業地域は
停電が一度もありません。なんだか不公平だとも思いますが、被災地を考えれば仕方
ありません。むしろ私たちは多少我慢しても、人の生命を預かる医療機関や中小企業
の工場はじめ重要な生産拠点に優先的に電力を安定的に供給する事が重要でしょう。
何だか戦時中の「欲しがりません勝つまでは!」を思い出しますが、我慢しましょう・・。


昨年この欄で下記のような話を取り上げました。
池上彰・手嶋龍一両氏の対談形式の著書
「武器なき”環境”戦争」によると
、電気にも質があって日本列島には送電網が均等に
張り巡らされており、電気の質そのものが非常に高い・・
                         (昨年の12月14日を参照してください)

しかし私はこれを機会に送電網のあり方も医療機関や交通機関、そして工場等の生産
拠点や国の中枢機関等は非常時には別回線に切り替えて送電が可能な二系統のシス
テムを考慮すべきだと思います。初めから別系統という手もありますが・・。 もう一つ、
現在は東西で異なる電力の周波数をこの際、日本全国同じに統一するべきでしょう。


今日は朝のTVで初めて私たちの地区に一日を通して停電がないことが分かったので
妻と久しぶりにウォーキングに出かけました。
近くの東川の桜、若木は花を付けていましたが老桜木の開花はもう少し遅れそうです。
川沿いの倉片人形では大きな「鯉のぼり」が威勢よく青空を泳いでいました。

                                    2011.03.25(金)
 



日本は東日本巨大地震で混乱している最中ですが、米国では華やかな美貌でハリウッドの
銀幕を彩りリズの愛称で親しまれた女優エリザベス・テーラーが、ロサンゼルス市内の病院
にうっ血性心不全で6週間前から入院していましが、23日に死去したと報じられました。
享年79歳。8回の結婚と7回の離婚など恋多き女性でした。

私も下に挙げたように、たくさんの作品を観ましたが、特に印象に残る作品はモンティと
共演の「陽のあたる場所」と「愛情の花咲く樹」。ジェイムス・ディーン、ロック・ハドスンとの
「ジャイアンツ」などです。特に「ジャイアンツ」のテーマ曲(音楽・ディミトリ・ティオムキン)は
スケールの大きな勇壮な曲で忘れることはできません。


リズは「バターフィールド8」(1960年)と「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1966年)で
2度のアカデミー主演女優賞を受賞しました。

話は違いますが午前中、地元小学校の卒業証書授与式に来賓として出席してきました。
109名の卒業生が元気よく巣立っていきました。毎朝登校時のパトロールで顔を合わせ
ていた卒業生たちに会えなくなるのはとても寂しい事ですが・・、彼等たちの未来に幸多か
れと祈念しています。
                          2011.03.24(木)   
   
   「緑園の天使」 1945年
 監督 クラレンス・ブラウン
 出演  ミッキイ・ルーニー



 「花嫁の父」 1950年
 監督 ヴィンセント・ミネリ
 出演 スペンサー・トレイシー
     ジョーン・ベネット
     ドン・テイラー



 「可愛い配当」 1951年
 監督 ヴィンセント・ミネリ
 出演 スペンサー・トレイシー
     ジョーン・ベネット
     ドン・テイラー
「緑園の天使」
   
 
「花嫁の父」 「可愛い配当」
   
 
 「陽のあたる場所」 1951年
 監督 ジョージ・スティヴンス
 出演 モンゴメリー・クリフト
     シェリー・ウィンタース
 「陽のあたる場所」  
   
 


 「黒騎士」(アイヴァンホー) 1952年
 監督 リチャード・ソープ
 出演 ロバート・ティラー
     ジョーン・フォンティン




 「ラプソディ」 1954年
 監督 チャールス・ヴィダア
 出演 ヴィットリオ・ガスマン




 「巨象の道」
 監督 ウィリアム・ディターレ
 出演 ダナ・アンドリュース
     ピーター・フィンチ
「黒騎士」(アイヴァンホー)  
   
 
「ラプソディ」 「巨象の道」
   
    「ジャイアンツ」 1956年
 監督 ジョージ・スティヴンス
 音楽 ディミトリ・ティオムキン
 出演 ジェイムス・ディーン
     ロック・ハドスン
「ジャイアンツ」
 



 「愛情の花咲く樹」 1957年
 監督 エドワード・ドミトリク
 出演 モンゴメリー・クリフト
     エバー・マリー・セント
     リー・マービン



 「熱いトタン屋根の猫」 1958年
 監督 リチャード・ブルックス
 出演 ポール・ニューマン



 「去年の夏突然に」 1959年
 監督 ジョセフ・L・マンキウィッツ
 出演 キャサリン・ヘプバーン
     モンゴメリイ・クリフト
「愛情の花咲く樹」
   
 
「熱いトタン屋根の猫」 「去年の夏突然に」
 




今回の東日本巨大地震の影響で、いろいろな行事が中止や延期になっています。
私の身のまわりでも13日に予定された小学校の校庭環境美化が20日に延期の末
中止に、同じく小学校の図書館見回り当番(26日)が中止に、25日に予定の入って
いた10日に受けた人間ドック健診後の面談が中止になり結果は書類郵送となり、
そして妻と18日から出かける予定だった房総方面への一泊旅行を中止しました。

又、22日に所沢で「歌う部会」を予定していましたが、このような状況でどうしようかと
思っていたところ、メンバーのT君から携帯に 「このような事態なので歌舞音曲の類は
自粛しませんか?」と連絡が入り、メンバー全員に諮った結果これまた中止にしました。
しかし、いまどき歌舞音曲(かぶおんぎょく)などと古めかしい言葉を使うT君のお人柄
を微笑ましく思いました。
そして来月1日都内中野区で予定されていたお花見も中止の知らせがきました。
しばらくはこんな状態が続くので已むを得ません。

東京電力福島第一原子力発電所は、自衛隊や東京消防庁の必死の放水の効果が
出し始め、2号機への送電線引き込み作業が成功し、多少とも愁眉が開く思いです。

写真は庭のパンジー(スミレ科)                  2011.03.20(日)




   昨日は午前9時半から3時間
 午後5時から3時間それぞれ
 停電がありました。

 夕方の停電時はまだ陽のある
 明るいうちに夕食を済ませて、
 暖房もきかず寒いのと元もと
 早寝の私は、6時過ぎには早
 々と寝床にもぐりこんでしまい
 ました。暗い時には寝るのが
 一番です。


 今朝は定時の4時15分に起
 き、趣味でもある朝食の支度
 等を済ませ、6時前に早めに
 出勤する息子を車で駅まで送
 り、6時半から始まった今日1
 回目の停電の中、窓からの明
 りを頼りに朝食をとりました。

 有り難い事にガスは使えます。
 再三、オール電化を勧められ
 ましたが、私はライフラインは
 原則二系統で持っていたいと
 常々思って実行していたので
 いつも通り焼魚やものの煮炊
 きが出来るので助かりました。
朝食の後片付け後は、陽の射し込む居間の窓際に椅子を持ち出し厚着をして3時間、新聞を
読んだり微睡(まどろ)みながら通電を待ちました。今更ながら電気の有り難さが身に沁みます。

東京電力福島第一原子力発電所が何とか最悪の危機を脱出することを祈っていますが・・、
現在、自衛隊の大型輸送ヘリによる海水投下や大型消防車両よる地上からの放水。また管
総理から要請を受けた石原慎太郎都知事が、東京消防庁から139名の緊急消防援助隊や
はしご車、大型化学車など30台を現地に派遣することを決定しています。
                                        2011.03.18(金)
先ほど電気が通じ近くの郵便局が営業を開始したので、日本赤十字社宛にささやかですが
「東北関東大震災義援金」を託してきました。

話は違いますが、午後2時頃から予定された今日2回目の計画停電は回避されました。



午後12時半頃から3時間、計画停電がありました。計画といっても昨日一昨日は停電せず、
今日も予定時間の12時20分になっても停電しなかったので無いものと思っていましたが、
改めての通告もなく(あったのかも知れませんが・・)あっさり実施されました。


ちょうど今日から給食が中止になってしまい、4時間授業で下校する学童たちの帰宅時間
なので見守りパトロールに出て、行き交う学童に停電になった事を伝えると半数の子供達
は半信半疑でした。

学童たちの下校が済んだので帰宅し、習慣でインターホンを押したのに家人の反応がなか
ったので停電だった事を思い出しました。学童たちも帰宅して同じ思いをした事と思います。

3時半に通電するまでは毛布に包まりながらソニーの携帯ラジオで情報を聞いていました。

学童の下校見守りパトロール中、春の嵐のような突風が吹き荒れ、全身が土埃にまみれて
いたので通電とともに風呂を焚き、やがて沸いたので入ろうとしたら湯の量がいつもより多く
そういえばセットしておいた風呂の温度や湯量が停電のためリセットされていたのでした。

何時もよりたっぷりの風呂に首まで浸かりながら、被災地で風呂にも入れず空腹と寒さに
震えている人たちを思い、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

それにしても、被災者の方々の冷静で秩序ある行動が海外のメディアなどで称賛されて
います。 身悶えるような辛さの中、まさに人という字の如くお互いに支えあっている姿に
感動しています。


毎年幾たびかはユニセフにささやかな募金をしていますが、今回は日本のこの大災害の
ために募金をします。
  日本頑張れ! 頑張れ日本人!
写真は、TVを通じ被災者へのメッセージを述べられる天皇陛下   2011.03.16(水)



早朝4時、東京電力のホームページで確認したら今日から輪番停電が始まり私の
地域は第1グループで午前6時20分~10時と午後4時50分~8時30分の間の
それぞれ3時間程度が停電するとのことでした。(計画停電)

早めに朝食を済ませ幸い停電もなさそうなので近くのスーパーへ買い物に出かけま
した。
9時の開店時間に合わせて出かけたのに、もう店内は満員で備蓄しようと思っていた
お米や缶詰・乾麺など冷蔵しないでも保存できる商品の棚は空っぽ。日配品の納豆や
豆腐などは物流が麻痺していたり原料不足などで商品が店に並ばない状態でした。

大方の人が考える事は同じだなあ・・と思いながら今日明日必要な最低限の物を購入
して帰宅しました。
ちょうど1973年のオイルショック時にトイレットペーパー等が不足し店頭から姿を消し
てしまった時のパニックが思い起こされました。今回は乾電池の棚も空っぽでした。

結局、今日の計画停電は第5グループで実施されただけで済みましたが鉄道各社は
東京電力に振り回され確たる運行ができず、多くの人々が途方に暮れる一日でした。


しかし被災地の方々を思う時、そしてTVの報道で三日ぶりに無事を確かめられた家族
の抱擁シーンを見た時、海岸に何百の遺体が・・・との報道を聞くとき、はたまた福島第
一原発の冷却がうまくいかず海水の注入もままならず、2号機が空焚きになるのでは
ないか・・などなど。
しばらくは不自由な生活も、被災地の方々に比べれば・・・と思わねばなりません。

話は違いますが、石原都知事の次回都知事選への立候補表明も巨大地震の前には
タイミング悪く霞んでしまいました。反面、管内閣はこの災害のため与野党休戦状態で
しばらくは続きそうです。


ただ、私は今回の原発事故は最悪の事態(メルトダウン=炉心溶融)になるのではな
いかと憂慮しています。
そうならないことを心から願いながら、今夜はもう就寝することにします。

写真は庭の水仙                             2011.03.14(月)



 恐れていた事態が発生し
 ました。
 東日本巨大地震で被災
 した福島第一原子力発
 電所1号機で水素爆発が
 発生し、放射性物質も飛
 散し敷地外にいた住民ら
 三人が被爆しました

 経済産業省原子力安全・
 保安院では、炉心が溶
 融した可能性を指摘・・・

 とっさに、アメリカ映画の
 「チャイナ・シンドローム」
 (The China Sindrome)を
 思い出しました。


 どうかこれ以上の大惨事
 が起こりませんように願う
 ばかりですが、不謹慎と
 叱られるかも知れません
 が、死者(行方不明含め)
 は数万人に達してしまうの
 ではないのでしょうか・・・

 行方不明の方々のご無
 事を祈るばかりです。

 なお先ほどマグニチュー
 ドが9.0に修正されました


    2011.03.13(日) 
The China Sindrome (1979年制作のアメリカ映画)
もし米国の原子力発電所で事故が起きると、高温で溶けた炉心(メルトダウン)が
地面を溶かし地球を突き抜けて反対側の中国まで達するという意味で、直訳すると
「中国症候群」ですが映画の中の会話のジョークからこの原題がつけられました。

出演 ジェーン・フォンダ、ジャック・レモン、マイケル・ダグラス
 
映画は1979年3月16日に公開されましたが、そのわずか12日後の3月28日に
ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所事故が起こりました。



かすかな揺れを感じたので「地震みたいだよ」と同席していた友人三人に言った途端、
大きな横揺れが襲ってきました。 四分の三世紀近く生きてきて初めての経験です。
(正確に言うと以前、防災訓練で起震車による震度7の体験をした時と似た状況です)


大きな横揺れは更に大きくなり、なかなか収まりません。
友人たちは動き回るテーブルを抑えながら姿勢を低くし、私は液晶画面の乗った大型
冷蔵庫大の重いセットが滑り出したのでそれを抑えながら、部屋の扉を開きました。
比較的ゆったりした揺れですが、これ以上大きく長引いたら若しかしたら駄目かな・・と
ゆう思いが一瞬よぎりました。

ここは月に一度、中学時代の友人たちと楽しむ高田馬場にあるカラオケ館の8階です。
あとで東北・三陸沖を震源とする国内観測史上最大のマグニチュード8.8の未曾有の
巨大地震(東日本巨大地震)と分かるのですが、その時は未だ知る由もありません。

2011年3月11日(金)午後2時46分、三陸沖を震源とする地震発生。

大きく揺れの続く中、従業員から「階段を使って避難してください」との指示が出て全員
階段を使い下り始めました。友人のO君は半身が少し不自由ですが、落ち着いている
様子なので安心しました。
途中、数箇所の壁に亀裂や破損が見られましたが、他の若い客たちと一緒に無事に
8階から避難することが出来ました。4~5分掛かったように思います。

外には大勢の老若男女が不安そうに佇んでいました。交通機関は鉄道はストップし
(路面電車は動いていたと、あとで聞きました)バスやタクシーは動いていました。

兎に角、自宅と連絡をとろうと携帯を取り出しましたが予想したとおり繋がりません。
駅前の公衆電話は長蛇の列ですが、私もそれに並び30分ほどで自宅の妻と無事を
確認しあえました。


再び友人たちと合流し、鉄道が復旧するまでと近くのサイゼリヤで軽食をとりながら
2時間ほど待ちましたが、その間も余震が続き駅舎に行って見たら既に閉鎖されて
いて、諦めて徒歩で帰宅する人たちが整然と列を成していました。

私たち四人は動いているバスを乗り継いで、少しでも自宅に近づこうとしましたが一つ
目の乗り継ぎのバス停で次のバスが中々到着せず、寒気も厳しいなか自宅が比較的
近い友人は「どこかで自転車を購入して帰る」と別行動をとりました。

通りの車は遅々として進まず、これでは到底帰宅は叶わぬと思っていたところ偶然
私の取引先の車が目に入り、ウィンドウをノックし名乗って乗せていただきました。
この会社は同行のO君の自宅近くにあるので会社まで乗せていただき今夜はI君と
二人でO君宅に泊めてもらうことにしました。


普段なら10分ほどの道のりを、1時間半ほど掛かりようやく9時過ぎに会社に着き
社員さんに礼を述べ、徒歩で十数分のO君宅に向かう途中、 「アジア料理」の店で
腹ごしらえをして店を出ると何と電車(西武鉄道)が動き始めていました。

それなら帰宅しようとI君と私はO君と別れ、日付の変わった頃ようやく家に着くことが
できました。

帰宅し改めてTVの報道を見て、刻々入る被害の大きさに驚き亡くなった方のご冥福
を祈り、行方不明者の無事を祈っています。


被害にあわれた方々の一刻も早い救助や復興は勿論ですが、これを機に自身の
防災に対する危機意識を再確認し、各々の組織がこの災害の貴重な体験を話し研究
しハードやソフトを整備し今後の災害に活かせるようにしなければならないと思います。

今回、書き切れなかった体験や感想については又改めて掲載したいと思います。
                                   2011.03.12(土)



前原外務大臣が辞任しました。 日本はいったいどうなってしまうのでしょうか・・
私たちは改めて、国会議員は外国人から献金を貰ってはいけない事を知りましたが、
法律は知らなかったでは済みません。まして前原誠司氏は新米議員ではないのです。

せっかく外務大臣として、米クリントン氏や各国の外相などにも引けをとらない大臣と
思っていたのに、脇が甘いと言うか誠に残念です。ご本人もさぞ無念のことでしょうが
中学時代から親しくして議員になってからも応援してくれた在日韓国人の女性の方も
まさか、こんな結果になろうとは思ってもいなかったとさぞ悔やまれていることでしょう。

まさに民主党はぼろぼろで菅内閣は満身創痍の末期状態です。自民党はじめ野党は
勢いづいていますが敵失に乗じているだけで先が見えません。
世界はこんな日本の状況を覚めた目で見ています。さぞかし呆れている事でしょう・・・

都知事選の行方も気になりますが、先ずは一刻も早く政局が安定し日本国の政治や
経済が上向きに前進し、なにより国民が自信を持てるようになる事を願っています。

今日、午前中は時ならぬ春の雪。
雪の積もった満開の梅には数羽のメジロが元気に飛び回り、花を啄ばんでいました。

メジロ(スズメ目メジロ科)                      2011.03.07(月)



 懐かしい米女優さんの訃報が
 報じられました。
 
 「紳士は金髪がお好き」で
 マリリン・モンローと競演した
 ジェーン・ラッセル
 アメリカ・カリフォルニア州の
 自宅で28日に死去(89歳)
 
 
 1940年、ハワード・ヒューズ
 が西部の荒くれ者「ビリー・
 ザ・キット」を主人公に描いた
 映画「ならず者」のヒロイン・オ
 ーディションに合格、19歳で
 映画界にデヴューしました。
 
 「ならず者」(1943)
 監督 ハワード・ヒューズ
 音楽 ヴィクター・ヤング
 共演 ジャック・ビューテル
     ウォルター・ヒューストン
     トーマス・ミッチェル



 左は「ならず者」のパンフ
 
この映画でハワード・ヒューズは監督を交代させて自身が監督し、宣伝のため胸元の大きく
開いた彼女のブロマイドを作成し、第二次世界大戦のため前線にいた兵士たちにも配布し
ました。 
 
一年がかりで完成した「ならず者」は、1943年に公開。当時としては際どいシーンが検閲に
触れ公開禁止運動が起こり上映中止に追い込まれました。
しかし、この作品でジェーン・ラッセルはセックス・シンボルとして名前が知られるようになりま
した。
 
上はボップ・ホープと競演の「腰抜け二挺拳銃の息子」(1952)のパンフレット。 
共演者にはロイ・ロジャース、そして名馬「トリガー」が名演技を見せてくれました。
残念ながら、1948年作の「腰抜け二挺拳銃」のパンフは保存状態が悪く掲載できません。
   そして1953年にはマリリン・
 モンローと競演したミュージカ
 ル映画「紳士は金髪がお好き」
 でジェーン・ラッセル(写真右)
 は全盛期をむかえました。

 「紳士は金髪がお好き」
 監督 ハワード・ホウクス
 音楽 ライオネル・ニューマン
 出演 マリリン・モンロウ
     ジェーン・ラッセル
     チャールス・コバーン

 


 一世を風靡し、私たち洋画フ
  ァンを楽しませてくれた良き
 時代のアメリカ映画の女優さ
 んでした。


 89歳の天寿を全うされたジェ
 ーン・ラッセルに合掌
 
       2011.03.01(水)
 右は1955年度作品
 「海底の黄金」のパンフ
 
「海底の黄金」
監督 ジョージ・スタージェス
音楽 ロイ・ウェッブ
出演 ジェーン・ラッセル
    ギルバート・ローランド
    リチャード・イーガン
    ペレス・プラード
テーマ曲 セレソローサ




ペレス・プラードがこの年に
発表した「セレソローサ」は
「海底の黄金」のテーマ曲に
なったこともあり、全米ヒット
チャートで10週連続第1位
を記録しました。
日本でも大ヒットしましたね。
 
Cerezo Rosa (Cherry Pink and Apple Blossom White)
チェリーピンク アンド アップルブロッサム ホワイト


 
久し振りに秋元順子の話です。
2008年に初めて彼女のことをここに掲載してから多分5回目位の掲載です。


先日、古いコンピュータのデータを全部最新の 「Windous 7」に移行した事は記載し
ましたが、今度は所有している音楽CDを全部コンピュータに取り込みました。
暇を見て入れた曲はクラシックから演歌まで約2,000曲、「Windous Media Player」
がそれぞれのCDを「アーティスト」、「アルバム」、「ジャンル」別に分類してくれます。

今までは、聞きたいアルバムを探し出してはプレイヤーにセットして聞いていましたが
現在は、コンピュータで分類されたアルバムや曲をクリックするだけでアンプを通して
スピーカーやヘッドホーンから手軽に聞けるようになりました。
若い人にとっては、「何をいまさら・・」と言われそうですが私にとっては大発見でした。

そこで秋元順子ですがアルバム、シングルあわせて9枚が取り込まれ、改めて聴いて
みました。
勿論、名曲「愛のままで・・・」や「雨の旅人」「マディソン郡の恋」も素晴らしいのですが
最近では彼女が唄うラテンやシャンソン、ジャズ等のスタンダード・ナンバーに聞きほ
れています。

特にアルバム「アンコール~ジャズ・スタンダード~」に収められている懐かしい名曲
「ベサメ・ムーチョ」「枯葉」「マンマ」「サマータイム」「慕情」などは秀逸です。

秋元順子のちょっとハスキーで伸びやかな歌声の魅力と相まって、巧みな歌唱力が
感動を呼びます。

もちろん、トリオ・ロス・パンチョス、イヴ・モンタン、ナット・キング・コールのも懐かしく
聴きますがそれはそれ、これはこれです。
秋元順子のこの分野でのアルバムの発売を今後も楽しみにしています。

余談ですが、23日に発売された「その花は・・・~変わらぬ愛~」は既にコンサートで
披露されている曲で、一緒に収録されている「かくれんぼ」は、「愛のままで・・・」のカッ
プリング曲「忘れもの」(好きな曲です)のアンサーソングです・・・。
作曲家・花岡優平氏とのコンビも悪くはありませんが、あまり新曲を粗製乱造せずに
じっくり良い曲を出してこれからも私たちを楽しませて欲しいと思っています。
                                   2011.02.25(金)
写真は、秋元順子のアルバム「アンコール~ジャズ・スタンダード~」



 
  第144回芥川賞受賞の
 「きことわ」朝吹真理子著を
 読みました。

 新聞広告などでは「26歳
 きらめく才女」と賞賛され、
 髙樹のぶ子氏は「日本の
 いにしえからの美意識を
 体内に持った女流作家」
 又、宮本輝氏も「難易度の
 高い絵画的手法を小説の
 世界でやってのけた二十
 六歳の才能はたいしたも
 の」と選評しています。
 
 あらすじは、葉山の高台に
 ある別荘で幼い日をともに
 親密な時間を過ごした貴子
 (きこ)と永遠子(とわこ)が、
 ある夏で突然断ち切られ、
 25年後に別荘の解体を機
 に再び二人は顔を合わせ
 時間が流れはじめる・・

 二人の間に25年前の小学
 三年生で八歳だった貴子と
 高校一年生で十五歳だった
 永遠子のそれぞれの記憶が
 交差していきます。

 
確かに文章の完成度は高く、絵画的手法の表現云々もそう言われればそうなのでしょう。
しかし小説としては、何気ない日常の流れが淡々と書かれているだけで面白くありません。
これは芥川賞の特性(純文学短編作品)かもしれませんが、現東京都知事の石原慎太郎
氏のデビュー作 「太陽の季節」(1956芥川賞受賞作)は筋書きも面白く鮮烈な印象でした。

短編および長編の大衆文芸作品中娯楽作品が「直木賞」かもしれませんが、芥川賞だって
もっと面白くてもよいのではないでしょうか。              2010.02.21(月)



テレビでエジプトのムバラク大統領の辞任が報じられています。
この事態はチュニジアで1月16日に23年余りも続いたベンアリ大統領の政権が
崩壊した時、既に予想されていたことです。
いずれも長期政権による政治の腐敗や失業、物価高などによる民衆の不満が
爆発した結果です。
ムバラク大統領は辞任し全権を軍最高評議会に委譲した、と日本時間12日未明
スレイマン副大統領が表明、ムバラク大統領はエジプト東部の保養地シャルムシ
ェイクに移動。 30年に亘り強権政治を敷いてきたムバラク政権は崩壊しました。


今後、周辺中東アラブ諸国にも同様な事態が広がる恐れは十分予測されます。
原油のほとんどを中東アラブ諸国からの輸入に依存している日本は政府はじめ
民間企業こぞって慎重かつ迅速に対応しなければなりません。
菅政権も「
まだ、若葉マークなので・・」などと云っていられません。

こうした動きが、若し中国の共産党による一党支配の崩壊や北朝鮮の現体制崩壊
に波及したら・・・、
しかし中国や北朝鮮では、今回のエジプトと違いデモの民衆に銃を向け遠慮なく
発砲して弾圧することでしょう。従ってこれらの国の民主化は中々難しいことです

すぐには有り得ないかも知れませんが、日本政府は常に考慮しておく必要があると
思います。 その時に優先されるべきは日本国民の安全と国益です。
                                    2011.02.12(土)
上の写真はマンサクの花。下はスフィンクス(2001年エジプト・カイロにて)



永いこと仕事で使ってきた「MS-DOS」のパソコン一式(上の写真)は、データなどが
「Windous 7」に完全移行出来たので名残惜しくかわいそうでしたが処分しました。
15年間本当に良く働いてくれました。

それに伴いFD(フロッピーディスク)やマニュアル本、参考書、インクリボン、用紙等も
大量に処分しました。
そして、これを機会に身の回りの不用品の整理に取り掛かりました。
箱につめて積んでおいた、もう二度と見たり聞いたりしないであろうと思われるカセット
テープやビデオテープ、個人データが一杯に印刷されている古い不要になった郵便物
や書類なをど思い切って市のクリーンセンターに持ち込みました。
クリーンセンターでは個人情報の判る書類などは目の前で焼却施設に直結する場所に
投棄してくれ、テープなどは粉砕処理をしてくれるとのことでした。


昔は燃えるものは焚き火などで処分していましたが、最近はむやみに焚き火も出来ず
個人情報の記載されたものは、「PLUSのケシポン」などで情報を消してからゴミ出しを
していましたが、毎日溜まる諸々の不用書類やダイレクトメールなどの郵便物をすべて
処理するのは大変な事。以後はまとめてクリーンセンターにお願いしようと思いました。

私も間もなく、いわゆる後期高齢者の仲間入りをします。
そろそろ不用品の整理だけでなく、残していくものも含めて整理整頓を始めなくてはと
思い少しずつ実行している今日この頃です。


話は違いますが、以前にも書いたかも知れませんが毎月墓参に行っていますが、最近
では墓参の帰りには必ず、近くに出来た「釜揚げ讃岐うどん」の丸亀製麵で妻と昼食を
とることにしています。私はいつも冷たい「ぶっかけうどん」に、おろししょうがと揚げ玉、
葱をたっぷりトッピングしています。(下の写真) 腰の強い麵と汁がよくマッチし、値段も
大で380円とお手頃なのですっかりクセになってしまいました。週一位で通っています。

                                       2011.02.08(火)



昨日、妻が3年前から乳癌の疑いで定期検診を受けている癌研に行ってきました。

3年前、「人間ドック検診」で「右乳がん(疑含む)精密検査を要する」と云われて紹介
された癌研でマンモグラフィや 乳腺細胞診(超音波検査【乳腺・穿刺】)及びリンパの
超音波検査などを受けた結果、幸い悪性なものではなく良性の繊維腫との事でしたが
今後とも定期的に検診を受けた方が良いとのことで
、以来半年毎に検診を受けてきま
した。幸いにもこの間ずっと変化がない状態が続いていました。

そして昨日も検診結果を一緒に聞きに行ったところ、担当の先生から次(半年先)の
検診でも異常がなければ今後の検診は年一回にしましょうと云われました。嬉しかっ
たですね。 もちろん私以上に妻が喜んだのは云うまでもありません。


私たちは毎年3月に人間ドックに行くことに決めています。 いつも受診のあとで翌年
の予約を入れています。
もちろん毎回、何か異常があると嫌だなとは思いますが、その時は指示に従って精密
検査や治療そして生活改善に心がければよいと考えています。
そして今年から「腹部超音波」の検査時に「大動脈瘤はありませんか?」と一言添えよ
うと思っています。

どうか皆様も、そして「俺は元気だ、大丈夫」と思っている方も年に一度は人間ドックで
自身の健康を確認してください。その際、ドックによってはオプションになっているものも
出来るだけ含めて受診されることをお勧めします



話は違いますが、大相撲の八百長問題には呆れて開いた口がふさがりません。
以前から噂はありましたが・・・ これが国技とは・・・。 しばらく本場所開催を見送り
政治と金の小沢問題で大揺れの国会ともども大改革をする事が必要でしょう。
写真はシクラメン                           2011.02.03(木)



最近、身近の人が転倒のため顔面や頭部を打撲したり、肩を骨折する事故が多発して
います。 二ヶ月ほど前には一緒にボランティアで児童の登下校の見守りパトロールを
しているMさんがパトロールの帰途、自転車が石に乗り上げ転倒し左肩を骨折。
先月は、中学時代の同級生でカラオケ仲間のT君が多分、駅の階段を下りる途中で転
倒し前頭部にかなりの重傷。多分と言ったのは、少々酔っていたので記憶が曖昧の為。
又、近くで家庭菜園をしているKさんは最近二度ほど転倒し首にギブスを着けています。
幸い、みんな命には別状がありませんでしたが一歩間違えると命取りにならないまでも
寝たきりや要介護になってしまいます。

思えば、昨年9月13日には、谷啓さんが自宅の階段を上がる途中で転倒し顔面と頭を
強打し脳挫傷で帰らぬ人となりました。享年78歳
今月12日には細川俊之さんが自宅の居間で転倒し頭部を打撲し急性硬膜下血腫で
14日に死亡。享年70歳とのことです。


厚生労働省の人口動態統計によると、平成21年に家庭内の転倒・転落事故で亡くな
った方は2,676人で、その8割が65歳以上の高齢者だそうです。
その理由として
高齢者は足腰やバランス感覚が衰えている為、以前は躓かなかった僅かな段差にも
躓くようになり、又、若い時は転んだ瞬間に反射的に手が出て頭部や顔面を守ろうと
しましたが、高齢になると咄嗟には手が出なくなり、電化製品のコードや敷居、布団等
部屋の中で普段慣れている場所でも僅かな段差での転倒事故が起きるとしています。

こうした点から、転倒予防医学研究会では「『ぬ・か・づけ』(れている所、段や段差
、片づけていない部屋や場所)は転びやすいので注意して欲しい」 と標語を作成し高齢
者やその家族に注意を呼びかけています。

私達も外では、駅や陸橋の階段の上り下りには必ず手すりに触れながらを心がけて
いますが、家の中でも気をつけねばと思っています。 
又、こんな寒いときは、「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」の言葉が思い出されます。

                                      2011.01.28(金)
上の写真は「オナガガモ」、下は紅梅。いずれも航空公園にて
 



 
昨日はもう何年も続いている月に一度、高田馬場で集う中学時代の遠慮ない仲間との
今年初めてのカラオケ。
昨年10月に恩師が他界し、五十数名いた同級生も既に十数名が鬼籍に入りカラオケも
何時の間にか亡き恩師や学友達の想い出に纏わる話題と選曲になり、「仰げば尊し」や
「惜別の唄」、「アメージング・グレイス」などなど、果てはお互いに「お前が死んだ時には
何々を歌ってやるよ・・」とまで話が弾んでしまいました。
そんな話が出来るのも六十年来の友だからです。しかし、歌ってやる方なのか歌われる
方なのかそれが大問題です・・・。 
カラオケの後は近くの居酒屋で、あとから合流した仲間も交えての楽しいひと時でした。

話は違いますが、予想されていた事とはいえ「たちあがれ日本」を離党した与謝野馨が
菅再改造内閣の経済財政相とは・・、 おかげで経済産業相に横滑りした同じ選挙区の
海江田万里ではありませんが本当に「人生は不条理」ですね。
参院議長を務めた江田五月の法務、78歳の藤井裕久の官房副長官の起用等をみると
民主党内の亀裂や人材の薄さが垣間見えるようです。

写真は小平霊園のケヤキ並木                     2010.01.15(土)



   10年間使っていた炊飯器が
 とうとう故障してしまいました

 一月ほど前から微かな音が
 し始めたので、何となく予感
 がありましたが暮の20日頃
 予定した炊き上がり時間を
 10分も経過して炊き上がっ
 たので見てみたら大分おこ
 げが出来てご飯もボロボロ
 になっていました。

 次回、気をつけて見ていたら
 セットした時は48分後に炊
 き上がる事になっていました
 が寸前には、いつの間にか
 時間が10分伸びていました
 もちろん前回と同じ出来上が
 りでした。
故障してしまった、2001年10月購入のNational IHジャー炊飯器 
   仕方なく、大家族だった頃
 購入し、今ではなにかの折
 沢山炊くときにだけ使って
 いる一升炊きの炊飯器を
 出して使い始めましたが
 一回に二合しか炊かないの
 で炊き上がりがいまいちで、
 已む無く新しい炊飯器を
 購入することにしました。
20年くらい前に購入し、今でも時々出番のある一升炊きの National 炊飯器 
    昨日、近くの量販店に行き
 ネット上で割と評判の良い
 機種で、余分な機能の付い
 ていない炊飯器を購入して
 来ました。
 顔見知りの店員さんなので
 価格も安くでき、そのうえ景
 品も沢山付けてくれました

 今日は七草粥なので明日の
 朝から使う予定で取り説を
 熟読しているところです。

 以前に電気製品を購入した
 時には、もう一生買わずに
 すむと思っていたものですが
 地デジだ、エコだ、故障だと
 已む無く購入する羽目になり
 今度こそ死ぬまで買わない
 で済むだろうと思っています
 が、いやはや・・です。
 
 
       2011.01.07(木)
 昨日購入した日立IHジャー炊飯器 (RZ-KG10J)



 
毎年、元旦には必ず頂戴していた年賀状なのに今年はまだ来ていない年賀状が一通。
かりにAさんとしておきます。 Aさんとは50歳を過ぎてからの友人ですが、お互いに
苦難のときに知り合いました。コンピュータ関係の仕事でしたが助け合い励ましあって
乗り越えてきました。 仕事を離れた後も年に一度位は会って互いの近況を報告しあ
っていました。
Aさんのほうが私より一つ年上ですが知り合った頃、すでに心臓にペースメーカーを入
れていましたから所謂身体障害者でした。
それなのに元気で勉強家、お洒落でちょっと見栄っ張り、常に若い女性とのお付合い
が絶えない艶福家で、いつも私を羨ませていました。

一昨年の11月にお会いした時は、若い女性たちと一緒に大学で講義を受けていると
いつもの笑顔で話してくれました。唯そのとき糖尿病なのでと言って自分でインスリン
注射をしていました。


年が明けたらそろそろ又お会いしたいと思っていましたが、私が出した年賀状が暮に
戻ってきてしまいました。心配して携帯や固定電話にかけてみましたが使われてない
との事。何日か待ってみようと思っていましたが今日5日になっても賀状がこないので
住まわれていた都下の郵便本局に問い合わせたところ、忙しいさなかなのに丁寧に
応対していただき、折り返し 「転居の手続きもなく、現在は別の方がお住まいです」と
連絡がありました。 結婚された息子さんが一人いますが、ご住所は知りません。

そこで駄目とは思いながら、お住まいだった市役所に問い合わせたところ「個人情報
なので、例えおいでになられてもお答え出来ません。 ご近所の方にでもお聞きになっ
てみたらどうでしょう?」とのことでした。
以前は他人の住民票でも取得できましたが、最近では悪用されることが多々あるので
仕方がありません。


元日のこの欄で、「年賀状は生存証明書みたいなもの」と書きましたが、まさにその
通りです。
Aさんから、「ちょっと入院していたけど無事に退院して、今は息子の所にいるよ」 と
でも連絡があればよいと思っている正月5日です。

写真は、庭の「ふきのとう」                      2011.01.05(水)



 
明けましておめでとうございます。
日本海側は大雪が降り荒れ模様ですが、こちらは穏やかな年明けとなりました。
例年通り国旗を掲揚しお節料理をいただきました。この歳になるとお餅が喉に詰らない
よう慎重にお雑煮を食します。 お正月にはお餅の事故が多いので気をつけています。

今年は例年になく年賀状が早く届いたので早速、妻と拝読させていただきました。
口さがない友人は、「印刷だけの賀状は生存証明書みたいなものだ」と言いますが、
私はそれでも良いと思っています。私自身も同じようなものですから・・

お互いに賀状だけのお付き合いになった方も懐かしく、お元気で何よりとホットします。
新しく戴いた方に早速賀状を投函し、地元の神社に初詣に行き家族の健康と繁栄を
祈願してきました。
いつも通りの元旦ですが、それで有難いと思っています。      2011.01.01(土)



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