清津峡・赤倉温泉と善光寺参りの旅

日本三大渓谷の一つ清津峡とナウマン象発掘の野尻湖を巡り赤倉温泉に
一泊。翌日は高橋まゆみ人形館を見学し善光寺様をお参りをして来ました。

2011.11.3〜4

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所沢を午前7時半に出発した車は関越道に乗り、途中休憩を取りながら
湯沢ICで降り11時前には最初の目的地、清津峡渓谷に到着しました。
清津峡(新潟県 上信越高原国立公園内)は黒部峡谷(富山県 中部山岳国立公園内)、
大杉峡谷(三重県 吉野熊野国立公園内)と共に日本の三大峡谷の一つだそうです。
清津峡を流れる清津川は新潟、群馬県境の白砂山(2140m)を水源とし
苗場山のふもとを流れて信濃川に合流しますが、途中の湯沢町八木沢から
十日町市小出(こいで)にかけての約12km間は切り立った岸壁が続き峡谷
になっていて、ここを清津峡と呼んでいます。
因みに、渓谷(けいこく)とは風景の美しい谷で、峡谷(きょうこく)は幅の狭い谷が
長く続いているという意味があるそうですが、清津峡は峡谷でありかつ渓谷でも
ある美しいところです。 
もう40年くらい前、私は一度清津峡を訪れています。新潟出身の知人が誘ってくれ
若い女性二人と四人で、八木沢から清津峡温泉に抜ける登山道を歩きました。


その時の紅葉の素晴らしさと渓谷の美しさが忘れられず、妻にも是非一度見せたい
と兼ねてから思っていましたが、今回地元発のバスツアーがあったので、これ幸いと
参加しました。
 
紅葉はまだ少し早いようでした。
しかし以前に歩いた登山道は、昭和63年(1988)7月、落石が男性の頭に当たり
死亡する事故が起こり、それ以来この登山道は安全が保障できないということで
通行はもちろん立ち入りも一切禁止となってしまいました。
そのため、渓谷美の見事な場所(屏風岩など)を見ることが出来ないという
状態が続きましたが、地元や観光客からの要望が多く環境庁や文化庁、
新潟県などの関係機関と地元で検討した結果、登山道(遊歩道)の代替
施設として、安全に通行でき外観を損ねない歩道トンネルの建設が決まり
総工費20億円で平成4年に着工され平成8年10月1日に「清津峡渓谷
トンネル」としてオープンしました。 (トンネル内に、トイレはありません)
清津峡渓谷トンネルは全長750m:往復所要時間約40〜60分。
入坑料は大人(高校生以上)500円、小中学生が250円
幼児と身障者は無料です。
4ケ所ある見晴所から雄大な渓谷美の片鱗を見ることが出来ます。


 
「柱状節理(ちゅうじょうせつり)
資料によると、「清津峡の雄大な景観美を形成している柱状の岩は「柱状節理」と
いって岩体冷却の時、体積収縮によって冷却面に垂直に六角柱状の節理が生じ
たものです」とあります。

一番奥の「パノラマステーション」からの眺望です。
下の写真左に、今は立ち入り禁止になった登山道が見えます。
 
 

 


温泉があったり地元で採れた「むかご」や「山くるみ」、「銀杏」などが
無造作に並べられています。
銀杏とむかごを買ってきました。

ラピーヌ雪街道「渓谷の駅」で昼食


「野尻湖」
黒姫山や妙高山などの自然に囲まれた野尻湖は「ナウマン象」の
化石発掘で知られています。
 
 昭和23年(1948)に地元住民が偶然ナウマンゾウの臼歯を発見したことにより
昭和37(1962)年から湖底や湖畔での発掘調査が始まったそうです。


ここでも地元農産物の直売所などのテントが並びます。
「野尻湖」です。
 標高654mに位置し、面積は4.56平行キロメートル、水深38.5m
遊覧船「雅 (みやび)」で湖をひと巡りしました。
所要時間は40分くらい、料金は普通客室大人950円、小人480円
野尻湖の唯一の島、琵琶島は頂上の野尻湖城跡に弁財天が
奉ってある宇賀神社があるので弁天島とも呼ばれています。

参道に祀られている龍

宇賀神社


宿泊先は長野県 赤倉温泉の「赤倉ホテル アネックス」

ツアーだからと食事はあまり期待していませんでしたが夕食の料理も
朝のバイキング料理も大変に丁寧でおいしい味付けで結構でした。
帰宅してホテルのパンフを見ていたら、赤倉ホテルの料理は
「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の料理部門100選に
5年連続入選していたそうです。どの料理も美味しかったですよ!

夕食後は、館内で女性ばかりの「若姫劇団」による演芸で楽しみました。




翌朝は、ホテル5Fの屋上からの景色が素晴らしいとのことで
一番風呂に浸かったあと湯冷めしないようにして屋上に行きました。


屋上からの眺望です。今日も快晴のようです。




ホテルをチェックアウトし、今から「高橋まゆみ人形館」見学に向かいます。
 
「高橋まゆみ人形館」 (長野県飯山市)
 頑固じーさんのお宝  頑固ばーさんの家出
資料によると、高橋まゆみさんは日本創作人形学院通信教育で人形作りの
基礎を学び、試行錯誤を重ね現在の創作人形にたどり着いたそうです。 
 
1998年ユザワヤ創作大賞部門大賞を受賞。2001年、初の作品集「まなざし」を
出版。2003年より全国巡回展「故郷からのおくりもの」スタート。テレビ朝日系列
「徹子の部屋」に出演。2004年「養命酒」のテレビCMに作品の人形達が出演。 

 
昨年9月に松屋銀座で同じ人形作家の「与 勇輝(あたい ゆうき)展」を見に行き
ました。 テーマは、”昭和のあのころ”の子ども達を中心に、ライフワークである
明治〜昭和前期を時代背景にした作品もあわせて110点が一堂に展示されて
いました。        (与 勇輝展についてはこちらをクリックしてご覧ください

「高橋まゆみ」の作品は、ほんわかとした農村の人々の日常を切り取った作品が
多いようでしたが、最近では戦国時代をテーマとした創作にも意欲を燃やしている
ように見えました。

 
近くにこんなオブジェもありました。


飯山市の掬花展も開催されていました。


飯山市をあとに善光寺に向かいます。
千曲川を渡り善光寺へ


「善光寺 」
 
三門
 

「御開帳大回向柱(だいえこうばしら)」
 
「回向柱」(えこうばしら)の高札には
数え年で七年に一度行われる善光寺最大の行事、前立本尊御開帳において、
本堂前に建てられる高さ十メートルの角塔婆です。この柱は前立本尊さまの
右手と直に結ばれ、柱に触れると前立本尊さまに触れるのと同じご利益が
あると言われています。回向柱は御開帳が終るとここに納められ、歴代の
回向柱とともに、徐々に土に還っていきます。
  と書かれています。

従ってこの写真、向かって右へいくほど古い回向柱になるわけです。
 


回向柱(廻向柱)を右回りに右手で触れながら廻るとご利益があるとの事。 
どうかご利益がありますように・・

 
  「善光寺本堂」(国宝)
資料によると、宝永4年(1707)に再建された現在の善光寺本堂は、江戸時代
中期を代表する仏教建築として国宝に指定されていて、間口24m、高さ30m
奥行き54mという壮大な伽藍は東日本最大で、最奥部にある仏堂の手前に
広大な礼堂(らいどう)を繋ぐ棟の形が、鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ているところ
から「撞木造り(しゅもくづくり)と呼ばれているそうです。
 
又、裳階(もこし)を廻らせた二重屋根は総檜皮葺(そうひわだぶき)と
して日本一の規模を誇っているそうです。
 
 
善光寺本堂の図面です。 
 
「お戒壇(かいだん)めぐり」
内々陣の右側を通って奥へ進むと「お戒壇めぐり」の入り口があります。
お戒壇めぐりは、ご本尊の安置される瑠璃壇下の真っ暗な廻廊を通り中ほどに
懸かる「極楽の錠前」を探り当てて、秘仏の御本尊と結縁する道場で、右手で
壁の腰の高さを手探りで伝って進むと「極楽の錠前」に触れることができます。
 
「お戒壇(かいだん)めぐり」は狭い入口から階段を下りて一曲がりすると
もう鼻をつままれても分からないほどの真っ暗闇です。
前後の人さえ全く見えません。混み合っていたようで直ぐに前の人の手に
触れてしまうので、「前が閊えていますよ」と後方に声を掛けながら手探りで
左右に曲がりながら暫く進むとやがて手に何やら金具が触れました。
見ることはできませんがどうやらこれが「極楽の錠前」 だったようです。
更に進むとやがて右に曲がり薄明かりが見えてきました。出口でした。


 
  「経蔵」(きょうぞう)
本堂の正面左手にある経蔵(重要文化財)には、仏教経典のすべてを網羅した
一切経が納められています。経蔵内部にの中央には、輪蔵(りんぞう)と呼ばれる
独楽(こま)のような形をした書庫があって、この輪蔵を回すことによって一切経を
読んだのと同じ功徳が得られるといわれているそうです。



善光寺周辺
 
 
仲見世通りには土産物店が並びます。

峠の釜めしで有名な「おぎのや長野店」で昼食


昼食の後は「ぶどう狩り」を楽しみます。

ぶどう食べ放題とぶどう狩り(ぶどう狩りは一房)
葡萄もそろそろ終わりです。


最後は「みそ蔵」見学です。
 
巨大な味噌ダルです 
昔ながらの味と製法を守り続けている風味豊かな味噌は、添加物を
使用せず、100年以上使い続けたこの木樽で1年半熟成させるそうです。
この樽一つに6,000kgの味噌を仕込めるそうです。
 
 店内には「みその十徳」が掲げられています。
美味しい味噌汁に舌鼓・・・ 


午後6時過ぎ無事所沢に戻ってきました。

近頃では地元から発着するバスツアーが気楽で気に入っています。
今回は、天候にも同行者にも、何より食事が美味しかったので大満足でした。
 



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