2010.11.4〜11.7
11月4日(木)、ようやく天気が落ち着き晴天に恵まれたこの日、 大宮駅よりJR吾妻線の特急「草津3号(10時26分発)」に乗車しました。 |
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大宮から四万温泉の入口、中之条駅まで1時間半余り。 (上野からだと2時間5分) |
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中之条の駅前風景です。 | |
ここから関越交通バスの四万温泉行きに乗り 約40分(料金は一人900円)で四万温泉に到着しました。 |
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今宵の宿は「四万やまぐち館」です。 |
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チェックインまで時間があるので、旅の荷物を宿に預けて散策にでかけました。 | |
途中、足湯がありました。 11月に入り急に冷え込んできましたが、この辺の紅葉は始まったばかりです。 |
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四万川(しまがわ)の清流です。 この四万川は、新潟との県境にある稲包山(いなつつみやま)に端を発するとあります。 |
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四万温泉の宿の軒数は大小合わせて約40軒だそうです。 |
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四万温泉の中心地まで15分ほど歩き、細い路地を右に入った昔ながらの 店が並ぶ落合通りの「そば三昧 中島屋」で昼食をとりました。 |
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写真の「天ぷらそば」は930円、「きのこそば」が970円でした。 気さくな女将さんと、近くに嫁に行ったけど毎日手伝いに来ているという娘さんが 店を切り盛りしていました。調理場はご主人と息子さんの一家総出のようでした。 |
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下は群馬県指定重要文化財の「積善館本館」です。 当初、石置きの板葺屋根の二階建てで、一階を帳場と家庭用、二階を湯治客用として いて、三階は明治に増築したものだそうです。建造年代は古文書により寛政十二年 (西暦1800年)以前と考えられているそうです。詳しくは上の写真をご参照ください。 |
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四万温泉郷をひと回りして「やまぐち館」にチェックインしました。 |
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早速、浴衣に着がえて露天風呂に直行。 |
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四万川の清流を望む露天風呂 |
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宿から、「貸切の露天風呂もお使い下さい」との事。 それではと「白寿の湯」を借り切ることにしました。 通常、「白寿の湯」を1時間借り切るのは3,500円です。 |
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内湯と露天風呂があり、大変結構な広々とした貸切風呂でした。 夕食は「谷の茶屋」にて |
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今宵の献立表です。 |
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食材も器も吟味された結構な料理が程よく供されました。 |
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館内の「俵町広場」では毎晩8時45分からお祭が始まります。 |
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最初は、女将(田村久美子)が読み聞かせる紙芝居です。 |
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女将が出張などで留守の時は「紙芝居」もお休みです |
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宿泊客による演芸(カラオケや踊り、民謡など)が続いた後は、 やまぐち館の社員による踊りや和太鼓が披露されます。 普段から練習しているらしく、中々堂に入った芸達者ぶりです。 |
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次いで女将が一曲(この日は「ノラ」)披露して、最後に抽選会でお開きになりました。 |
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11月5日(金) 「朝食」、種類も多く結構なお味でした。 |
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「月見台ラウンジ」からは真下に滝がみえます。 |
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ここは中之条駅です。 これから草津2号(向こうから来ました)に乗り渋川経由で伊香保に向います。 |
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今日も快晴です。田んぼの稲刈りも一段落したようです。 |
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「渋川」に到着 |
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渋川駅と駅前のモニュメント(下) |
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渋川駅から伊香保温泉まで関越交通バスで約25分(550円) |
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伊香保温泉に着きました。 |
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「竹久夢二記念館」があります。 |
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隣は 「食の駅」 |
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地元の野菜・果物・土産物が並び、買物客で賑わっていました。 |
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食の駅内、「カレーうどん」の店「游喜庵」 | |
「天ぷらカレーうどん」辛かったけれども美味しかった。1,260円 |
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今夜の宿は天正年間創業、一番湯の宿「ホテル木暮」 |
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時間が早いので宿に荷物を預けて、伊香保温泉観光に出かけました。 |
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予め、伊香保温泉観光ガイドの会「遊会」に個人ガイドをお願いして置きました。 |
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「伊香保御用邸跡」 伊香保御用邸は、明治23年(1890)に御料地として選出され同26年(1893)に 離宮が建設され、多くの皇族方がここを訪れましたが、昭和20年(1945)に御用邸の 幕を閉じた後は文部省に移管され昭和27年(1952)7月、火災で離宮は焼失しました。 |
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現在は、この石垣だけが残っています。 |
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正面玄関に置かれていた「沓脱石」 若き日の昭和天皇はじめ多くの皇族方が踏まれた「沓脱石」です。 |
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「横手館」は宝永年間(1704〜1711)に創業の 伊香保でも数少ない木造建築のある旅館です。 |
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伊香保石段街で幸せそうな花婿・花嫁さんに出会いました。 |
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「小間口(小満口)」 各旅館の温泉は源泉から湯樋を使って引かれていて、 この小間口からその流れを見ることができます。 |
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医王寺「薬師堂」 |
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美しい紅葉に映える朱塗り欄干の「河鹿橋(かじかばし)」 |
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「黄金(こがね)の湯」 天正初期(四百有余年前)、戦国大名武田家は、古から続く伊香保の源泉を 守るため、十二支を割り当てた定盤木で、12名の名主に分湯したそうです。 今宵の宿、「ホテル木暮」はそのとき筆頭大家として十二支の一番目「子」の お墨付きを賜り現在も、「黄金の湯」の総湧出量の四分の一強の権利を有し ているとのことです。 (資料より) |
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源泉は鉄分を多く含むため、湧出し酸素に触れ写真のように茶色に 変化するようです。そのため「黄金の湯」と呼ばれているようです。 |
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川は湧出した温泉の成分で赤茶色に染まっています。 |
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「湯元呑湯道標」 |
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「飲泉所」 泉質は弱酸性で通風、アレルギー性疾患、肥満症などに効果があるそうです。 |
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「源泉湧出口観覧所」 毎分1,400リットルの湧出量を誇る、第2源泉湧出口が見えます。 |
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「若き日のベルツ博士」 明治期ドイツ人の医師ベルツ博士の指導によって飲泉療法が 盛んになり呑湯所も設置されたと考えられています。 |
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「伊香保神社」 温泉街の石段を登りつめた所にあります。 |
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石段街では地元「リンゴ」の試食即売会が開催されていました。 品種は「あかぎ」、 「陽光」、「ぐんま名月」などですが、私は「陽光」が甘くて一番美味しいと思いました。 |
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2時間余りに亘り案内してくれた、伊香保温泉観光ガイドの会「遊友」のMさんと。 |
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石段街の途中に「無料休憩所」があります。 |
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上の写真は、昔ここで社員旅行をした団体の記念写真と思われます。 下の写真は、今日の団体旅行の記念写真風景です。 磨り減った石段はすっかり修理され365段(本当はもう少し多いようです)になりました。 |
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「伊香保御関所」 寛永8年に幕府の命によって設けられた関所が復元されていました。 |
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「旧ハワイ公使別邸」 別称・「アルウィンさんの別荘」 |
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かってハワイが独立国だった当時【1893年(明治26年)】の日本駐在公使の別邸。 館内には、当時の写真など多数の資料が展示されています。 |
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伊香保での宿は、「ホテル木暮」 |
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なかなか落ち着いた和室です。 |
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部屋からの眺望です。 |
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一番湯の宿 「ホテル木暮」は、北関東最大級の1300坪の湯殿に26湯があります。 源泉「黄金の湯」からは毎分1000リットルの豊富な湯がかけ流しでそそがれています。 |
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ここには、昭和56年(1981)6月に昭和天皇・皇后両陛下がお泊りになりました。 | |
その節、使用された調度品が展示されています。 |
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旅の楽しみの一つは、やはり夕食です。 | |
食事処「花つつじ」の清潔な調理場 |
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今宵のメニュー |
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食後は、「ザ・太陽」劇団による踊りと太鼓のショーで楽しみました。 |
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11月6日(土) |
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夜明けの伊香保 |
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館内の売店のひとつ |
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ここの売店は、土産物の数は比較的少なく、しかし特色のある品揃えで 石段街の土産物屋さんとは商品の住み分けをしているようです。 |
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「ホテル木暮」にて 伊香保温泉ともお別れです。 |
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ホテルをチェックアウトし、再びバスで渋川駅に到着。 好天に恵まれ美味い料理と佳い景色、温泉にゆったり浸かり、妻も大満足の旅でした。 草津2号(11時43分発)で無事帰宅しました。 |
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おまけ | |
お土産の「野沢菜」と「紫花豆きんつば」 | |
伊香保温泉「ホテル木暮」のテレビ番組表 |
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