2014.09.24
朝7時半前、所沢を出発した観光バスは途中2カ所ほど トイレ休憩をしながら、北茨城市の五浦に向います。 |
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心配されたお天気も「晴れ女」と自称するYさんのお蔭で何とか持ちそう・・ |
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常磐自動車道の北茨城ICで下りて11時前には「野口雨情記念館」へ到着。 野口雨情は、明治15年(1882)茨城県出身。昭和20年(1945)63歳で永眠。 |
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「野口雨情記念館」正面は雨情の像、手前は「しゃぼん玉」の像(左右とも) 雨情が作詞した代表的な作品 「十五夜お月さん」、「シャボン玉」、「七つの子」、「青い眼の人形」、「赤い靴」、 「兎のダンス」、「證城寺の狸囃子」、「船頭小唄」、「波浮の港」などなどです。 |
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「野口雨情記念館」の次は「五浦(地元では、いづら)」の「天心遺跡」(岡倉天心) 五浦海岸はとても風光明媚な素晴らしいところです。 |
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「天心遺跡」は「筑波大五浦美術文化研究所」が管理運営しています。 入場料(250円)は施設の維持管理及び文化財」修繕費用に使用しているそうです。 |
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太平洋を臨む岸壁の上に立つのは天心遺跡のシンボル「六角堂」です。 さきの東日本大震災の津波により流失しましたが、国の復興予算に加え、多くの 方々からの寄付金によって一年後の平成24年に建設当初の姿に再建されました。 |
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石の土台だけが流失されず残ったそうです。 |
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本当に風光明媚な場所です。 | |
あちらに見えるのは、「五浦観光ホテル」と別館「大観荘」です。 |
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「天心邸」 | |
石碑「亜細亜は一つなり」 | |
「天心記念館」 |
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「岡倉天心像」 岡倉天心(1863〜1913) |
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「五浦観光ホテル」 |
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「五浦観光ホテル」で昼食。結構でした。 畳敷きの宴会場ですが、ご覧の様な各々の椅子テーブルで助かりました。 最近、足腰や膝が痛くて正座や胡坐も楽ではありません。 |
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ホテルからの眺めです。 なかなか良いところなので、そのうちに泊りに来ようかなと思いました。 |
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「茨城県天心記念五浦美術館」 岡倉天心(1863〜1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、 日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の 発展に大いに功績を残しました。その活動は、日本画の革新運動や古美術品の保存、 東京美術学校の創立、日本美術院の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など 目を見張るものがありました。 また、天心は英文著作「The Book of Tea(茶の本)」などを通して、東洋や日本の 美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動しました。 さらに、天心は晩年、茨城県北茨城市の五浦(いづら)の地に理想郷を見出し、 日本美術院を移転、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山などをうつり住 まわせ、新たな発展を目指すことになります。(以上岡倉天心記念室資料より) |
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一行四十数名記念写真 「茨城県天心記念五浦美術館」にて。 帰路は福島県を通り抜けて。 |
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原子力発電所が止まっている為、あちこちで火力発電所がフル稼働しています。 |
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前方に見えるのは火力発電所で使用される石炭の山です。 |
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「いわき・ら・ら・ミュウ」で最後の土産物を物色。 |
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予定より1時間ほど遅れ8時過ぎ無事所沢に到着、解散しました。 |
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お土産品 |
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「長久保のしそ巻」 昭和の初め頃、いわき地方は常磐炭鉱の最盛期でした。当時、雑貨商を営んでいた 創業者の長久保ツネは、店を切り盛りする傍ら漬物作りに工夫を重ねていました。 その中の一つ、細く切った沢庵をシソで巻いた「しそ巻」を海苔の瓶に詰め、店頭に 並べたところ評判となり、各地から買いに来るお客様が大勢いました。そうです。 アツアツのご飯にぴったりでした。 |
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「めひかりの丸干し」 「アカメ」の別称で、成魚は全長1mを超える大型魚である。成魚の体は一様に銀白色で 、背中側はやや灰褐色がかっている。一方、幼魚は黒褐色で額に黄白色の縦線、体側に も黄白色の横しまや斑点があり、成魚とは外見が異なる。顔つきはスズキに似るが、 背中が大きく盛り上がっていて体高が高い。目は通常は他の魚と同様に黒いが、暗い 場所で光を反射すると角度によっては赤く光り、「赤目」の和名もここに由来する。 (ウィキペディアより) 焼いたり、天ぷらにして食しましたが、そんなに美味しいとは思いませんでした。 |
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「かもめの玉子」 ご存知「かもめの玉子」の季節限定の秋バージョンで中に栗が入っています。 甘いもの大好きなので美味しくいただきました。 |
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各種蒲鉾 蒲鉾も大好きです。可もなく不可もない品物です。 |