山陰山陽の旅

倉敷・出雲大社・萩・安芸の宮島を旅してきました。

2007.10.13〜10.16

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初日は、岡山 後楽園を観光して倉敷に宿泊します。  10月13日(土)
「岡山城」(岡山県)
約400年前、宇喜多秀家が築城し天守閣の壁を黒い板で覆ったことから
「烏城」(からすじょう)の別名があります。

姫路にある「姫路城」は別名「白鷺城」(しらさぎじょう)です。対照的ですね。



「岡山 後楽園」


「岡山 後楽園」は、岡山藩主・池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、
貞亨4年(1687)に着工し元禄13年(1700)には一応の完成をみましたが
その後も、藩主の好みで手を加えられましたが、江戸時代の姿を大きく
変えることなく現在に伝えられてきたそうです。(岡山後楽園の資料より)


「岡山後楽園」は、「水戸の偕楽園」、「金沢の兼六園」と並び日本三名園に
数えられています。
昭和27年に文化財保護法による「特別名勝」に指定されました。

芝は、日本に広く自生している野芝を使っているそうです。


この広い芝生地や池、築山、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながら
様々な景色を楽しめるようになっています。
このような庭園の形式を「林泉回遊式」と呼ぶそうです。


売店では日本初 「スーパー プレムアム ジャージー」と称する特製のアイス
クリームを販売しています。
地元では評判らしく、そばで若い女性も食べていましたし、あと2個分しか
ないとの事なので早速、試しに1個買ってみました。 値段は800円です。
まったりとした濃い味でしたが800円が妥当かどうかは・・ 疑問ですね。


「倉敷美観地区」(岡山県)

なんか商店街みたいな名前ですが、今から約400年さかのぼる江戸時代に
倉敷は天領(幕府の直轄地)として栄えました。流れている倉敷川は米や綿花
の集散地として、大小の舟が絶えず行き来するほどの賑わいだったそうです。
その面影を色濃く残す美観地区。白壁の蔵や昔ながらの町屋は江戸の佇まい
を今に伝えています。

ちょっと、北海道の「小樽運河」を思い浮かべましたが、
小樽は1899年(明治32年)に国から国際貿易港に指定され発展してきた港町
で、小樽運河沿いにレンガや石造りの保管倉庫が建てられました。
現在、多くの倉庫は改造されて独特の雰囲気があるショップ街が形成されて
います.

この倉敷美観地区には、沢山の文化施設がありますが、時間の関係で
かねてから倉敷に来たら是非にと思っていた「大原美術館」に入館しました。
(大原美術館は午後4時半入場終了で5時閉館です。)

「大原美術館」は、
倉敷を基盤に活躍した事業家「大原孫三郎」が昭和5年(1930)に設立した
日本最初の西洋美術中心の美術館です。

本館(会館当時の建物です)では、
モネの「睡蓮」(1960年頃)、 ゴーギャンの「かぐわしき大地」(1892年)
エル・グレコの「受胎告知」(1600年前後)、 モディリアーニの「ジャンヌ・エビュ
テルヌの肖像」(1918年)、 セガンティーニの「アルプスの眞晝」(1982年)、
その他ロートレック、ピカソ、マティスなどの作品に出会えます。

上はモネの「睡蓮」
下のセガンティーニの「アルプスの眞晝」は、構図はちょっと違いますが同名の
作品が1年前にも描かれています。

分館では日本画家の作品、岸田劉生の「童女舞姿」(1924年)、藤島武二の
「耕到天」(1938年)など。東洋館、工芸館では棟方志功の作品や益子焼の
浜田庄司の作品など盛りだくさんです。
この度は慌ただしく廻りましたが機会があったらじっくり鑑賞したいと思います。

倉敷での宿は「ホテル日航倉敷」
倉敷美観地区から1分の場所にあり、大理石を贅沢に使った11階建ての
こじんまりしたホテルです。
ツインの部屋は広く明るく清潔で気持ちよく宿泊できました。




晴天に恵まれて今日は倉敷を発ち、島根県安来市の足立美術館を見学し
松江市内を観光して宍道湖から玉造温泉に向います。 10月14日(日)



「大山」だいせん(鳥取県)

上の写真と下の二枚。この三枚の写真の山は全部同じ山です。
中国地方の最高峰の大山(だいせん)です。
主峰の剣ケ峰(けんがみね)は標高1709m。

西の方角(特に島根県安来市方面)から見た山容が富士山に似ていることから
出雲富士(いずもふじ)や伯耆富士(ほうきふじ)の名も持つ一方、北・南壁を
見ると日本一の規模の溶岩ドームによって形成された荒々しい山容はまるで
違う山に見えます。
安来市から見た「大山」




「足立美術館」(横山大観コレクションと日本庭園) 島根県

日本庭園と近代日本画をゆっくりと鑑賞出来る美術館で「横山大観」の
コレクション(約130点)では日本一だそうです。
館内には横山大観をはじめ川合玉堂、上村松園、竹内栖鳳などの作品、
また「陶芸館」では河井寛次郎、北大路魯山人の作品が展示されています。

「庭園もまた一幅の絵画である」 足立美術館の魅力を表すとすると、当館の
創設者で地元出身の実業家・足立全康のこの言葉に勝るものはありません。
                                足立美術館の資料より

枯山水庭


「苔庭」


「池庭」


館内の窓がそのまま額縁になっていて庭園絵画が鑑賞できる「生の掛軸」も
足立美術館の名物です。
これはフラッシュを発光させて撮った写真です。

「生の額絵」
枯山水庭や白砂青松庭も、庭園をそのまま見せるのではなく、館内から
大きな窓を額縁代わりにして絵画のように見せるなどの工夫が凝らされ
ています

フラッシュを発光させないで写した写真です。

枯山水庭や白砂青松庭、池庭などを15、000坪に配した、この見事な
日本庭園は、アメリカの庭園専門誌が発表する「日本庭園ランキング」で
平成15年(2003)から今年(2007)まで5年連続で第1位に選ばれています。




「松江」(島根県)
松江は東に中海、西に宍道湖、北に日本海を望む「水の都」です。

「宍道湖」しんじこ
宍道湖は海との水位の差がほんのわずかなため、淡水と海水が混ざりあう
汽水湖(きすいこ)となっています。周囲は約47km。
スズキやウナギ、シラウオ、コイ等の魚も豊富に獲れるそうですが全国的に
有名なのは何と言っても 「宍道湖のシジミ」です。

穏やかな湖水ではボートの練習です。


「嫁ケ島」よめがしま
嫁ケ島は宍道湖に浮かぶ唯一の島。周囲は約240mです。


「松江大橋」
松江大橋が誕生して70年だそうです。
橋の袂では記念の句会が開かれていました。


松江大橋


今日の昼食は、松江大橋を渡った川向こうの「なにわ本店」で「御うなめし」
を楽しみます。


なにわ本店の「御うなめし」

細かく刻んだ鰻や牛蒡、焼椎茸を具に炊き込んだご飯に海苔を薬味にのせ、
だし汁をかけて食べます。 なかなか美味でした。


松江大橋


「松江城」(島根県)
重要文化財 「松江城」
松江城は千鳥城ともいい、全国に現存する12天守のひとつだそうで天守閣の
平面規模では2番目、高さ(30m)では3番目、古さでは6番目だそうです。
慶長16年(1611)、出雲の領主・堀尾茂助吉晴が5年の歳月をかけて完成
したそうです。
石組みは、「牛蒡積み」と呼ばれ石の大きな部分を内に、小さな面を表に出して
一見粗雑に見えますが、もっとも頑丈な積み方だそうです。


鯱鉾(しゃちほこ)は、向って左(下の写真)が雄で鱗(うろこ)があらく、右が
雌だそうです。高さは2. 08mあり、日本で現存する木造のものでは最大。


「小泉八雲記念館」
八雲(ラフカディオ・ハーン)は、ギリシャのレフカダ島生まれ(1850〜1904)
松江藩士の娘と結婚(セツ夫人)。 名作「怪談」や「耳なし芳一」、「雪女」が
あります。


「堀川めぐり」

「ぐるっと松江 堀川めぐり」
松江城の堀を約50分かけてめぐる遊覧船です。


低い橋のところでは船の屋根が低く折りたたまれます。
乗客も身を伏せなければなりません。




大きな「アオサギ」があちこちにいます。

武家屋敷などを眺めながらの、ゆったりとしたひと時でした。


「堀川めぐり」の記念写真


いずも まがたまの里
「伝承館」 メノウ原石を加工、磨いて勾玉(まがたま)をつくっています。

「玉造」は地名が示すように縄文・弥生時代から今日まで、花仙山から産出
するメノウ原石(青・赤・白)を使い、様々な玉類をつくってきたそうです。
三種の神器(皇位継承のしるし)である八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の
発祥の地でもあるそうです。


「玉造温泉」(島根県)
温泉の歴史は古く、「出雲国風土記」には、美人の湯として賑わったと記されて
いるそうです。

「玉造温泉ゆ〜ゆ」では、連日夜8時半から安来節ショーが開催されています。

後半は、会場から先着5人の希望者を募り「どじょうすくい」の講習会が行われ
ました。

温泉にもつかり一杯機嫌の5人の生徒達は、先生?の指導に従い一生懸命
身振り手振り宜しく「どじょうすくい」の稽古を受けました。なかには酔っている
ため舞台から飛び降りてしまった人もいて満員の会場は大爆笑でした。

最後には5人揃って無事に修了証書をいただきました。

私達も、楽しいひとときとお土産に「手ぬぐい」を貰って 「300円の入場料は
安かったね。」と夜道の温泉街を宿(白石家)まで帰ってきました。

今日も、お天気は大丈夫。出雲大社を参拝して萩城下町を散策します。
                                 10月15日(月)


「出雲大社」(島根県)

神話時代、「箸」が流れてきたの見た「須佐之男命」(スサノオノミコト)が
川上に人が住んでいるに違いないと思い上流に行ったところ・・・の話しで
有名な川が下を流れている「斐伊川」ひいかわです。

出雲大社は「因幡の白兎」でウサギを救った大国主命(おおくにぬしのみこと)
を祭る神社で縁結びの神様で知られています。
毎年旧暦の10月には全国の八百万(やおよろず)の神々がここ出雲大社に
集まることから出雲地方では10月を「神在月」(かみありづき)と呼びます。
その他の地方は「神無月」(かんなづき)です。


「さざれ石」だそうです。


「さざれ石の由来」



「因幡の白兎」
大国主命と助けられて白兎

大国主命(おおくにむしのみこと)


本殿は
大社造りの代表建築で現在の高さは24m、国宝に指定されています。

現在の本殿の高さは24m(8丈)ですが、伝承によると中古には48m(16丈)
さらに上古には約96m(32丈)あったと伝えられているそうです。

平安時代、源為憲によって作られた「口遊」の数え歌で「雲太、和二、京三」と
歌われ、雲太は出雲太郎(出雲大社)、和二は大和次郎(東大寺大仏殿)、
京三は京三郎(平安京大極殿)と言われています。
                             (古代社殿の想像図)


平成11年(1999)から実施された発掘調査で巨大な柱が見つかりました。
これは直径が約1.4mの柱を3本束ねたもので、古代社殿の柱ではないかと
話題になりましたが、柱の成分分析などから宝治2年(1248)造営の本殿跡の
可能性が高いと云われています。

写真の上に見える赤い円柱と、手前に描かれている円が柱の実物大です。






「神楽殿」

神楽殿はもともと明治12年出雲大社教が組織化された当時、その教化の
ために大国主大神さまを本殿とは別におまつりしたことに由来します。
現在の建築は昭和56年に新築されました。その大広間は270畳敷きの
広さをほこり、神社建築にはめずらしく、正面破風の装飾にステンドグラスが
使われています。またここに掛かる注連縄(しめなわ)は長さ13メートル、
重さ5トンの巨大なもので「国引き神話」の出雲を象徴するかのようです。
                             「出雲大社の資料より」

長さ13m、重さ5tの巨大な注連縄(しめなわ)




「出雲大社」参拝記念写真




昼食は「ゆうひパーク浜田」で「のどぐろ御膳」
「のどぐろ」の煮付けはもちろん、新鮮な刺身や天ぷらもおいしかった!


「ゆうひパーク浜田」のレストランからの見晴らしです。



「松下村塾」と「萩城下町」

「松蔭神社」
明治40年(1907)吉田松陰を祭る神社として創建されました。


吉田松陰が安政3年(1856)7月から2年半の間、子弟を教育したのが
松下村塾で、松蔭神社の中にある質素な建物です。





「親思う心にまさる親こころ 今日のおとずれ何ときくらん」


「松下村塾」





ここから、伊藤博文、高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)など多くの明治維新の
人材を輩出しました。







「萩城城下町」

萩城城下町に武家屋敷や町屋が入り組んだ一角があります。
ここに歴史に名を残した幕末の志士ゆかりの建物が点在します。

「高杉晋作旧宅」
敷地内には当時の旧宅の半分が現存しているそうですが
今日は生憎休みのため入ることが出来ませんでした。

高杉晋作(1839〜1867)
19歳で吉田松陰の松下村塾に入門、後に明治維新の実現に身を捧げました。



木戸孝允(桂小五郎)生誕の地。20歳で江戸に出るまでここで過ごしました。
木戸孝允(1833〜1877)
吉田松陰に兵学を学び、後に西郷隆盛、大久保利通と共に維新の三傑と
称されました。維新後は新政府の指導者として活躍しました。



「菊屋家住宅」
萩藩御用達の豪商・菊屋の屋敷。
「全国でも最古に属する町屋」として重要文化財の指定を受けています。
菊屋家は慶長9年(1604)、毛利輝元の萩入国に従い山口から萩の移り
城下の町造りに尽力して屋敷を拝領しました。


「庭園」


「美術品と民具」

「火消し道具」

「釜場」
主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵の五棟が国の重要文化財指定を受けています。
ここまで「菊屋家住宅」



「雁嶋別荘」と「ステンドグラス」

「雁嶋別荘」
パンフに「新・和風モダン旅館」とありますが、その通り
日本旅館の良い面とホテルの良さを合わせた素敵な別荘です。

夕食も、気持ちよい雰囲気で飛び切り美味しい料理。
洗練された従業員の過不足ないサービスには大満足でした。




雁嶋別荘の前を流れる松本川



今までもたくさんの素晴らしい宿にお世話になりましたが、
今年の4月に宿泊した沖縄・名護市の「ザ・ブセナテラス」に匹敵する
素晴らしい雰囲気の宿でした。(景色は沖縄には、かないませんが・・)



「雁嶋別荘」のステンドグラス
ステンドグラスや照明器具が大変に印象的だったので写真で紹介します。


「雁嶋別荘」内の
サロン「北門倶楽部」入口のステンドグラス




「雁嶋別荘」内の
サロン「北門倶楽部」のアンティークな照明器具のいろいろ。


天井からの照明です。 これが三基付けられています。


昆虫をモチーフにした四つの照明








お洒落な照明器具のいろいろ









アンティークな照明器具の数々、ご堪能いただけましたでしょうか?
ここまでは、「北門倶楽部」です。



今日は、秋吉台から岩国・錦帯橋〜宮島・厳島神社を参拝して広島駅から
新幹線で帰京します。                     10月16日(火)



「秋吉台」あきよしだい(山口県)
秋吉台は日本最大のカルスト台地で、約3億年前に地殻変動によってつくり
だされ、130平方kmにも及ぶ広大な草原に無数の石灰岩が隆起しています。
昭和39年(1964)に特別天然記念物に指定されました。

私達の立つ真下の地下100mには総延長10kmにも及ぶ秋芳洞(鍾乳洞)が
広がっています。



カルスト展望台の登り口には、ここの名物 「夏みかんソフトクリーム」が
販売されています。


「岩国 錦帯橋」(山口県)

錦川の清流にかかる錦帯橋は、昔から「山は富士、滝は那智、橋は錦帯」と
云われています。
「錦帯橋」は約330年前に岩国藩主・吉川(きっかわ)広嘉によって架けられた
木造五連の美しいアーチ橋です。
精巧な木組みの技法を駆使して造られ「日本橋」、「眼鏡橋」(長崎県)と共に
日本三名橋といわれています。

現在の橋は、昭和28年(1953)に再建されたものですが、釘を一本も使わ
ない昔のままの独特の工法だそうです。


岩国城です


香川家の長屋門


天然記念物 「岩国のシロ蛇」
シロ蛇の長さは180cmで胴回りはおよそ15cm、眼はルビーの様に赤く全身は
白く光沢があります。性質はおとなしく人に危害を加えることはないそうです。
多分、青大将の色素細胞の無い変種だと思います。

入場料はありませんが、一人100円の寄付をお願いされました。



元祖 岩国寿司の宿  割烹旅館「三原家」
郷土料理の貴重な文化遺産として八代に渡り岩国寿司を調理し続けてきた
そうです。
野菜と鯵などの魚の身を混入した押し寿司で、岩国名物だそうですが私達の
口にはちょっと合いませんでした。


「安芸の宮島」(広島県)



宮島に向う船中です。



「安芸の宮島」厳島神社(いつくしまじんじゃ)
「大鳥居」(重要文化財)

海面にそびえる朱塗りの大鳥居は高さ16.8m、重量は約く60tあるそうです。
8代目にあたる現在の鳥居の主柱は樹齢500〜600年の楠(くすのき)。

柱の根元は海底に埋められてはいないそうです。松材の杭を打って地盤を
強化して箱型のなかに石を詰めて鳥居の重みだけで立っているそうです。


「回廊」かいろう
回廊は幅4m、長さは275mで床板の間に目透かし云う隙間があり高潮の
時に、下から押しあがってくる海水の圧力を弱めたり、海水や雨水を海へ
流す役割を果たしているそうです。

厳島神社(世界文化遺産)
厳島神社は、推古天皇元年(593)に佐伯鞍職によって創建されたと伝えられ
ているそうです。
平安時代後期の仁安3年(1168)には、佐伯景弘が厳島神社を崇敬した
平清盛の援助を得て、現代のような回廊で結ばれた海上社殿を造営したそう
です






「本殿」ほんでん (国宝・平安時代)
現在の本殿は元亀2年(1571)に毛利元就によって改築されたものです。



私達が立っている場所は平舞台の一部です。
「平舞台」ひらぶたい (国宝・平安時代)



尻尾のかたちが珍しい狛犬です。

ガイドさんによると、上の狛犬(こまいぬ)は雌(めす)で角を立てて怒って
いるそうです。
下の狛犬は雄(おす)で笑って誤魔化そうとしているそうです。
なにを怒って、なにを誤魔化そうとしているのでしょうね・・




「高舞台」たかぶたい (国宝・平安時代)




「能舞台」のうぶたい (重要文化財・江戸時代)




「反橋」そりばし (重要文化財)
かっては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから
別名:勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれたそうです。




後方から見た社殿


宮島のガイドをしてくれたのは参道の土産物店 「だいこん家」の店員さんです。
帰りには店に寄って、お茶や名物の「もみじ饅頭」の試食をしました。
勿論、ここでお土産も購入しました。

下の池は「だいこん家」さんの奥にあって、見事な錦鯉を外人の観光客が
盛んにカメラに収めていました。



宮島名物「焼がき」
「焼がき」二つと「缶ビール」で700円でした。



広島駅前のオブジェ「朝」



新幹線「のぞみ」で帰京します。 楽しい旅でした。








おまけ

モネの「睡蓮」と、セガンティーニの「アルプスの眞晝」(下の写真)
両方とも「大原美術館」(倉敷美観地区)で購入しました。
勿論、複製品です。


玉造では、やはり勾玉(まがたま)です。 伝承館で購入しました。


出雲大社では健康を祈願してお守りをいただいてきました。


出雲でもうひとつ、この「薄小倉」は「キンツバ」にちょっと似た作りで
甘辛両党(と言ってもビール専門ですが)の私には、お茶で良し、ビールの
つまみにもピッタリの銘菓です。


宍道湖ではやっぱり「しじみ」でしょう。
この「しじみの佃煮」は、熱々のご飯にのせて良し、酒のつまみにも最適です。


萩(はぎ)では萩焼です。
昔から「一楽、二萩、三唐津」とか一萩、二楽とも云われて茶人に好まれて
きたそうです。
私自身、萩焼はあまり好みではありませんが、窯元に行ったので見学して
いたら、面白い「一輪挿し」があったので買ってきました。


安芸の宮島では「幸運・福運・勝運」を召し取る(飯取る)といわれる
「宮島の招福杓子」を買ってきました。

これも宮島名物「もみじ饅頭」です。
                                      以上です。


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