福井勝山・永平寺・東尋坊と金沢兼六園の旅

恐竜の化石発掘で有名な福井県勝山市を訪ね白山神社 平泉寺と恐竜博物館。
翌日は永平寺、丸岡城、東尋坊を観光して芦原温泉で宿泊。  最終日は金沢の
近江町市場、武家屋敷跡、兼六園などを見学し北陸新幹線に乗って帰宅しました。

2015.08.09〜11

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東京駅・駅弁屋さんは、駅弁を買い求める旅行者でごった返していました。
 
 私たちも駅弁を買い求め、東京7時33分発の新幹線「ひかり」で米原へ。
米原で「しらさぎ」に乗りかえ琵琶湖を左に見ながら福井に向かいました。
上の写真は、米原駅で「しらさぎ」の列車連結作業。
 
東京駅で買った駅弁、黄色い紐を引いて5分。アツアツのステーキ弁当の出来上がり。
 
 
 
福井駅には10時59分着。東京駅からの所要時間は約3時間半。
 
久しぶりの 「福井駅」すっかり綺麗になったので吃驚しました。

 
福井県立・恐竜博物館のある勝山には、えちぜん鉄道で小一時間です。
 
運が良ければ、美人の乗務員さんと乗り合わせることも・・
 
 
左に「九頭竜川」の清流を見ながら、終着駅・勝山に到着です。
越前勝山・清流のあゆ(今年の解禁日は6月13日(土)でした。
 
 
勝山駅

 
 
 勝山駅前広場では恐竜のお出迎え。ここから恐竜博物館行きのバスが出ています。

 
平泉寺白山神社

勝山市内から車で10分余りに平泉寺があります。最初に訪れたのは今から56〜7年前。
当時、境内には「弁慶の足跡」と伝えられる史跡や冷たい水が湧き出る泉があり、
持参した缶ビールを入れて暫くして戻るとちょうど飲みごろに冷えていたものでした。
残念ながら今回は時間の関係もあり、その場所を見つけることができませんでした。
もしかしたら九頭竜ダムが出来たため、泉は枯れてしまったのかも知れません。 
 

 
 珍しい苔や地衣類があるため同行した孫が大喜びでした。

 
平泉寺白山神社拝殿
 
 平泉寺は、霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口に開かれた白山信仰の
拠点寺院で、今から1300年近く前、泰澄によって開かれたと伝えられます。
 


 

 
 
境内では 蛇や蛙、足の長い蜘蛛などに出会えます。
 
 
 
 杉の幹に、足の長い蜘蛛がいますが、見えるでしょうか?

 
向うに「恐竜博物館」銀色に輝くドームが見えてきました。
 
「福井県立恐竜博物館 」
 

「プウィアンゴザウルス」 全長15.5m
余り大きいので全長がカメラに収まりません。 
 

館内のモニターに映った映像です。
 
 
 
「ジェジャンゴサウルス 」
珍しい恐竜です。初めて見ました。
 

 
 
「恐竜の卵の化石」
 
 
 
恐竜博物館の内部は三層になっています。
4,500uに及ぶ展示室には、40体以上の恐竜全身骨格をはじめ、千数百点もの
標本が展示され、じっくり見て回ったら4〜5時間はかかる見ごたえのある博物館です。
 



勝山での宿泊先は、「板甚」
 
 勝山市内の老舗旅館「板甚」(いたじん)のご亭主は13代目。 



この建物内の「蔵座敷」は、国の「登録有形文化財」に指定されています。
 
歴史を感じさせる館内です。

 
 夕食は離れに用意されていました。
 
離れの内部です。大きな囲炉裏(いろり)がきられています。


 
 
この大きな座敷に私たち三人の夕食が用意されていました。
 
戦時中が思い出されます。


地元、九頭竜川で獲れた見事な「アユの塩焼き」は特注です。
 


 
 

 
 

 料亭板甚は勝山市の中心部である本町通りにある。蔵座敷は料亭主屋の西端につながっており、
土蔵造2階建、屋根は切妻造桟瓦葺の建物である。桁行11m、梁間5.7m。各階に2室の座敷を
設けるが、1階奥の座敷は床を黒漆喰塗とし、竹の落としかけにするなど、独特のデザインとなって
いる。屋根裏の棟束に墨書銘があり、昭和8年(1933年)の棟上げで、設計者は佐久間忠右衛門、
棟梁は佐久間佐太郎であったことが分かる。司馬遼太郎がこの蔵座敷で宿泊しており、
『街道をゆく 越前の諸道』に紹介している。          (勝山市の文化財紹介より)

 
朝食は、国の登録有形文化財に指定され、その昔、司馬遼太郎が
宿泊した由緒ある「蔵座敷(くらざしき)」に用意されました。

宿の特別の計らいのようです。 
 

 「蔵座敷」内
 
 

 
写真は、裏から見た「蔵座敷」の全容です。
人物は「板甚」(いたじん)の13代目ご亭主です。
 
 
「板甚」にて


 
勝山市内を散策しました。 マンホールの蓋も恐竜です。
 
 
市内のあちこちに恐竜のモニュメントがあります。
 
 
 
 
 

 
 勝山の道
この辺りが立川でした。
 
懐かしいこの場所は「立川区左義長櫓会館」になっていました。

 
 
 「神明神社」
 
直木賞作家の田中小実昌(たなか こみまさ)が「香具師の旅」の中で
この神明神社のことを取り上げていた記憶があります。
 
昔からこの 土俵はあったと思います。


朝9時49分の勝山駅発で福井駅まで戻ってきました。
12時に観光タクシーを予約しているので、少々早い昼食をとります。
 
福井駅ビル内「プリズム福井」の回転ずし北陸漁港「北のおやじ」
11時開店と同時に入店しました。ネタは飛び切り新鮮、値段もお手頃で大満足でした。


 
 予約していた「越前周遊観光タクシー」で、「永平寺」〜「丸岡城」〜「東尋坊」を
巡って、今日の宿泊先の芦原温泉まで行ってもらいます。3時間半の行程です。

 
車は福井駅から30分ほどで曹洞宗大本山「 永平寺」に到着しました。
石段を登って大本山永平寺へ・・

 
 
 道元を祀る承陽殿の前にある承陽門。

 

 
 
僧堂の外廊下に大きな「木魚(もくぎょ)」が吊るされていので、一寸調べてみました。


木魚は、お経を読むときにリズムをとる事に使われ、原型は魚の板のようなもので、鯱(しゃち)の
ような魚が口に玉を咥えていて、胴体の真ん中の鱗(うろこ)のない丸い叩く場所があり、そこを
弓なりに反った棒で叩き音を出します。

永平寺のこの木魚は、約3mで魚鼓(ほう)と言われ修行僧が食事をする僧堂の外廊下に吊るされ
当番の修行僧がこれを叩いて食事の合図に使用しているそうです。

魚の形をしている訳は、魚は眠らないと言われ寝る間も惜しんで修行しなさいという教えだそうです。

 
 
永平寺で一番の眺望「一文字廊」(手前)と「仏殿」

 
 
永平寺境内の風景

 
 
「仏殿」の内部
須弥壇(しゅみだん)には本尊の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)=お釈迦様が祀られています。

 
 

 「大庫院」
 


 
山門を守る「四天王 」
 
山門は永平寺最古の建物で、三解脱門(さんげだつもん)とも言われ、仏の世界に入る関門です。
 
 山門の「吉祥の額」


 
 
鐘楼堂(しょうろうどう)
大晦日の除夜の鐘で知られる「永平寺の鐘」
昭和38年(1963)の改築で、中に吊るされた「除夜の鐘」で有名な大梵鐘は重さが約5トンあります。

一日に四回、朝・昼・夕方・夜に修行僧が撞きます。

 
向うに見えるのは、法堂に至る階段状の回廊

 
 
 「傘松閣(さんしょうかく)」の絵天井。
平成6年(1994)に改築された「「傘松閣」の二階、156畳敷きの大広間の格天井には、
昭和5年(1930)建築された当時の著名な画家144名による230枚の花鳥彩色画が、
そのまま修復されています。


約1時間の永平寺見学でした。
 
永平寺のお土産は
 大本山永平寺御用達「團助濃厚ごまどうふ」


永平寺を出て丸岡城まで約1時間。
 
越前「丸岡城(まるおかじょう)」(霞ケ城)

 
 
越前「丸岡城(まるおかじょう)」(霞ケ城)
戦国時代の天正4年(1576)、一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の
柴田勝豊に築かせた城で、現存する天守閣では最古の建築様式で国指定重要文化財です。

天守閣の高さは12.6m  鯱の高さ1.66m  
 
 丸岡城は現存する天守閣の中で最も古い建築で、外観は上層望楼を形成して通し柱がなく、
一層は二階三階を支える支台をなし、屋根は二重で内部は三階となっている。又、屋根が全部
石瓦で葺かれているのが全国にも稀な特徴である。このような古調に富んだ望楼式天守閣は、
後の時代の松本城、彦根城、姫路城など層塔式天守閣と比較すると、いかに城郭建築の初期の
ものであるとうかがえる。昭和9年(1934)国宝に指定されたが、昭和23年(1948)福井大震災
により倒壊した。昭和25年(1950)重要文化財の指定を受け、昭和30年(1955)に修復再建。

(パンフより)
 
地震で落下した石製の鯱(しゃち)
 昭和15〜17年(1942)の修理の際に作られた石製の鯱(しゃち)ですが
昭和23年(1948)6月の福井大震災の折、棟より落下したものです。
 
 観光タクシーのドライバーさんは、丸岡城は絶対国宝にすべきだと息巻いていました。

 
「一筆啓上 」書簡碑
徳川家康譜代第一の功臣で鬼作左(おにさくざ)の勇名を轟かせた本多作左衛門重次が
陣中から妻にあて「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」と書き送った話は
有名です。 文中のお仙とは嫡子「仙千代」で、後の福井城主松平忠直に仕え、数度の
戦いに武勲を立て、ここ丸岡城6代目の城主となった本多成重のことである。パンフより


 丸岡城から50分程で 「東尋坊」着きました。
 
私たちは2度目の観光ですが、同行の孫は初めてなので、高さ25mほどの岸壁が続く東尋坊に
興味津々です。この岩は輝石安山岩の柱状節理(ちゅうじょうせつり)で国の天然記念物に指定
されています。     ここで30分ほど観光して今宵の宿、芦原温泉の「灰屋」に向かいました。
 
 

 芦原温泉「灰屋」
 


私たちの宿泊した「灰屋」の客室は、庭付き数寄屋造りの離れタイプです。
 
客室からよく手入れされた庭に、直接出ることができます。

 
 


 
「灰屋の夕食」  旅の楽しみは何と言っても美味しい食事です。



 翌朝は、芦原温泉10時13分発の「しらさぎ1号」で金沢(10時49分)へ


今日は、12時から「金沢観光タクシー」で金沢市内を観光します。
 
その前に例によって少し早目の昼食。


水産会社直営の 「魚采屋」と決めました。
 
店内は若い女性客などで満員の盛況です。

 
鮮度抜群の魚介類で満足満足でした。


 
JR金沢駅東口広場の総ガラス張りの「もてなしドーム」は、ガラスとステンレス製
パイプの大屋根で高さは30m。  金沢を訪れる人にさしだす傘のイメージです。
雨や雪の多い土地で濡れないようにという「もてなしの心」を表しています。


同じく東口広場の「鼓門(つづみもん)」は能楽の「加賀宝生(かがほうしょう)」をモチーフに
したもので鼓の形の門は能が盛んな伝統芸能の土地柄を象徴したとのことです。

いずれも平成17年(2005)に完成。
 


金沢観光タクシーに乗車し観光開始です。
今日の予定は、「近江町市場」〜「武家屋敷跡」〜「兼六園」〜「ひがし茶屋街」の予定です。
 
最初は 「近江市場」

地元の買い物客や観光客で大賑わいです。中国人の観光客も・・。
 



次は「武家屋敷跡」です。
 
   「大野庄用水」
豊かな水の流れです。
 
 
 藩政時代、中級武士が屋敷を構えた風情ある街並みが残り、用水沿いの武家屋敷跡・野村家や
前田土佐守家資料館、旧加賀藩士高田家跡など見どころです。
 

 
因みに、アパホテルで有名な女社長・元谷芙美子さんの実家もこちらにあります。

 
 


観光タクシーのドライバーKさん。個人で営業しています。
これまで日本各地で観光タクシーを利用しましたが、このKさんがピカイチ最高です。
 
よく勉強をしていて、あらゆる質問に的確な返事が返ってきます。

 



次は 「兼六園」 です。

日本三大名園の一つで、六つの優れた景勝、「六勝」を
兼ね備えていることからこの名が付けられたそうです。
 
徽軫灯籠(ことじとうろう)と虹橋 (別名:琴橋)
 
この灯籠は事の糸を支える琴柱の形をしていることから、
徽軫灯籠(ことじとうろう)と呼ばれているそうです。

 
 


下の流れは「琴の糸」を現しているそうです。
 



 
兼六園といえば冬の風物詩「雪吊り」を思い浮かべますが、緑豊かな兼六園もなかなかです。
 
 
絶景です。

 
 
「旭桜」

 
 「唐崎松(からさきまつ)」

 
 「黄門橋」

黄門橋という呼び名は、十三代藩主、斉泰(なりやす)の役職が、中納言
(中国での役職名は、黄門)であったため、黄門橋と呼ばれているそうです。
 




 「ひがし茶屋街」 
 
大勢の 観光客がそぞろ歩いている「ひがし茶屋街」

 
「ひがし茶屋街」
木虫籠(きむすこ)と呼ばれる出格子ご残る古い街並み。
日が暮れるころには今でも軒の灯が灯る茶屋から三味線や太鼓の音が聞こえるそうです。

 
この茶屋の屋根の上に見える松は、家の中を抜けて伸びています。



 予定にはありませんでしたが、「金箔工芸 ”さくだ”」を訪ねました。
 

金沢は金箔のまち。国内シェア9割以上を誇る金沢の金箔は、漆器の加飾や屏風、仏壇などに用い
られ、金沢の伝統工芸品を彩ってきました。金箔を使った工芸体験は、金沢ならではの体験です。 
 
出来上がった金箔を一枚一枚、和紙に挟んでいきます。

 
   ひがし茶屋街の近くにある金箔工芸の専門店「さくだ」。金箔製造工程の見学や金箔貼り体験が
できます。  金箔やプラチナ箔の化粧室、見事な金屏風ほか金銀箔工芸品が楽しめます。
 

金箔やプラチナ箔の化粧室は誰でも使用できます。
 

予定の3時間を少々超えてしまいましたが、無事に金沢駅まで送ってもらいました。

若し、また金沢に来た折には、絶対「Kさんの観光タクシー」で案内して戴きたいと思います。

 
金沢駅ビル「金沢百番街」の土産物店はどこも大変混雑しています。


 
 
程よい甘さが最高の中田屋の「きんつば」や
柴舟小出のピリッと生姜のきいたおせんべい「紫舟」は大人気です。
 


 

帰りは「北陸新幹線」で
金沢発16時38分の「かがやき10号」に乗り大宮まであっという間の2時間8分。 
途中の停車駅は富山と長野。駅弁を食べ、うとうとしている間に着いてしまいました。

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