有馬温泉に泊り姫路城訪ねてきました。

姪の結婚式に出席の為、有馬温泉経由で姫路に行ってきました。

2009.3.27〜3.29

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ここは神戸電鉄の有馬温泉駅そばの「湯けむり広場」です。 上は「豊太閤像」

有馬温泉へは新幹線の新神戸から
北神急行で谷上へ、神鉄有馬線に乗換え有馬口で有馬温泉行きに乗換え有馬温泉
までは30分足らず、料金は新神戸から一人720円でした。

駅から「ゆけむり坂」に折れる角に無地の暖簾が掛かっている店があります。
店の人に聞いたところ、喫茶店と思って飛び込んでくる人もいるそうですが、実は
ラー麺屋です。なんでも町並み条例のためこのような暖簾しか出せないと云って
いましたが、折角美味しいラーメンや餃子を供しているのにもったいない事です。

角煮醤油ラー麺は730円、黒豚餃子が450円でした。
店を出て振りかえって見たら店の看板がありました。

有馬温泉観光協会のパンフレットによると、有馬温泉の歴史は遠く神代の時代に
大己貴命(オオアナムチノミコト)と少彦名命(スクナビコナノミコト)が山峡有馬の
里に静かにたちのぼる湯煙を発見したのが始まりとされています。


温泉街を巡回するのは「有馬ループバス」です。 昔懐かしいボンネットバスです。


だんご屋さんの店頭では研修中のバスガイドさんたちが楽しそうに団子やアイスを
頬張っていました。 カメラを向けると明るい笑顔で目線をくれました。


有馬温泉に繁栄をもたらしたのが豊臣秀吉で千利休を引き連れて、たびたび有馬の
地を訪れ茶会を行ったそうで、毎年秋に行われる瑞宝寺公園の有馬大茶会は豊太閤
を偲ぶ行事だそうです。
太閤の水


「太閤の足湯」も賑わっています。 みんなゆったりと楽しんでいました。

細い坂道沿いには、みやげ物店が並び賑わっています。

こちらは「ねねの像」です。


「ねねの像」は、ここ「親水公園」のほとりに建てられています。


有馬温泉での宿は「有馬グランドホテル」

八階の部屋からの眺め。
有馬グランドホテルは客室が228、定員980名だそうですが、
「今日は満室で800人のお客さんが宿泊されています」とは担当の女性の話でした。


1Fにも大浴場、露天風呂がありますが、9Fの大浴場と露天風呂は広々として
いて、景色もよく気持ちよくゆったりと湯に浸かることが出来ました。
温泉は、豊富な鉄分が含まれているため赤茶色をしていて「金泉」と呼ばれています。

チェックアウトは11時30分


有馬温泉駅〜有馬口〜谷上〜三宮と乗り継いでJR三ノ宮から新快速で姫路まで
約1時間20分(料金は1人1,850円)で到着です。


ホテル日航姫路にテェックインし、部屋に荷物を入れて姫路城に向いました。
姫路城までは商店街をゆっくり見ながら約30分で着きます。

姫路城が見えてきました。

ここ「ろの屋敷」の「高田の馬場」で昼食をとり、いよいよ姫路城にむかいます。




姫路城は平成5(1993)年12月に法隆寺地域の仏教建造物とともにユネスコの
世界遺産委員会で日本で最初に世界文化遺産に登録されました。

お花見に来ていた女子高校生グループのシャッターを押してあげた代わりに
私達も写してもらいました。
東京の桜の開花は21日との発表でしたが、ここ姫路では一分から二分咲き。
それでも土曜日の姫路城三の丸広場ではあちこちでビニールシートを敷きつめた
花見客が花冷えの中、ちょっと盛り上がりには欠けていましたが「花より団子」で
楽しんでいました。
姫路城周辺には約1,000本の桜が植えられているそうです。


お城を見学して戻って人たちです。いろいろな国の人に出会います。

姫路城のパンフレットによると、
姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333)ここに砦を築き、その子
貞範が正平元年(1346)に城を構えたことに始まったそうです。
最近の研究では築城は16世紀中頃の黒田重隆・職隆のときとする説もあるそうです。

黒田官兵衛孝高のとき、彼の勧めで羽柴秀吉が天正8年(1580)西国攻略の根拠地
として入城し、翌9年に3層の天守閣を完成させたそうです。
国宝「姫路城」は別名を白鷺城と呼ばれています。本当に美しい城です。

以前、ヨーロッパを旅行した折に見たノイシュバンシュタイン城(ドイツの
バイエルン州ヒュッセン)も美しい城でしたが姫路城も負けていません。
     ノイシュバンシュタイン城(1992年5月写す)


私達もこれから天守閣に登ります。

その後、羽柴秀長、木下家定と続き、関ヶ原の役後、徳川家康の女婿池田輝政
(52万石)が入封し、慶長6年(1601)から8年の歳月を費やして南の外濠を
拡張し、姫山に5層7階の天守閣を築きました。
天守閣の外観は5層ですが、内部は地上6階地下1階になっています。




靴を脱ぎ用意されているスリッパに履き替えて天守閣に入ります。

中は大変な混雑振りで各階とも長い行列が出来ています。
途中、薄暗い場内に展示品がありますが係員が列を乱さずに前に進むよう指示するので
落着いて見る事はかないません。

外国から訪れた観光客も沢山いて、折角展示品を見たいのに薄暗いし説明も不十分、
その上急がされては何の為にここを訪れたのか分かりません。
ただ行列について登って降りるだけでは世界文化遺産の名が泣きそうです。

結局、五層六階の天守閣内部を登って降りるだけで一時間半ほど掛かりました。 


姫路城は以前にも訪れていますが、その時は観光客も少なく展示品も見ながら30分
ほどで天守閣を見学した記憶があります。

千姫ゆかりの「西の丸」です。
池田氏三代のあとに入封した本多忠政(15万石)は、長男忠刻とその室千姫
(徳川秀忠の長女)のために、西の丸を整備して、元和4年(1618)今日に見る
姫路城の全容を整えたそうです。


百間廊下は、西の丸の中書院に当る場所で御殿を囲むように建てられた
300mもの建物です。
化粧櫓と百間廊下。

将軍徳川秀忠の長女千姫は大阪落城のあと本多忠刻に再嫁して、ここ
姫路城西の丸で幸せな日々を過ごしたそうです。
当時の様子が再現されていました。 これは貝合わせを楽しんでいる場面でしょう。
その後、城主は松平氏、榊原氏と変わり、酒井氏が寛延2年(1749)入封して
明治維新を迎えました。


現在、天守閣と三つの小天守とこれらを結ぶ渡櫓(以上「国宝」)をはじめ、化粧櫓
など櫓27棟、門15棟、土塀約1,000m(以上「重要文化財」)の建造物と、内濠・
外濠の大部分が残っており、中濠以内は特別史跡に指定されています。

以上、この色のところは姫路城のパンフレットより。
この廊下には沢山の部屋がこちら向きに並んでいます。
千姫に仕えた侍女たちが住んでいたそうです。


出口で係員の男性に写していただきました。
さすが、最高の構図で写してくれました。



ジョウビタキ(スズメ目ツグミ科)が観光客の目を楽しませてくれました。


一夜明けて、今日は穏やかで絶好の婚礼日和
今回の旅のメーンイベント、姪の結婚式です。
結婚式は自宅、お寺の本堂で仏式による挙式。


披露宴会場は姫路城が望める素晴らしいロケーションにあります。


ケーキ入刀は、両家のご両親も一緒に和やかに・・・

素晴らしい家族がまた増えて益々繁栄のご両家です。


   余興の抽選会で大当たりを戴きました。

末永くお幸せに・・


披露宴会場から望んだ姫路城と、
下は同じく化粧櫓と百間廊下。
厳粛な結婚式・和やかな披露宴に出席し、新幹線で無事帰宅しました。



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