郡上八幡白川郷の旅

「水の里」郡上(ぐじょう)八幡(岐阜)で「郡上おどり」を楽しみ、
翌日は世界遺産白川郷を訪ねる観光バス旅行をして来ました。
 フルコース、観光バスで回るツアーでしたが、お天気にも
 メンバーにも恵まれ、快適な旅が出来ました。

2008.8.10〜8.11

                                           日本の旅トップページに戻る

地元の駅前から午前7時過ぎ出発した車は、八王子インターから中央道に
乗り入れました。 境川パーキング・エリアから望む甲府盆地。


長野道から国道158号に入り昼には、松本市安曇の道の駅「風穴の里」に
着きました。

「安房トンネル」

昨年12月6日に開通した北アルプスを貫き信州と飛騨を直結した
長さ4.4キロの安房トンネルを抜け、「平湯」で昼食になりました。

昼食に出てきた鍋は、もやしとキャベツの上に豚肉の薄切りとニラをあしらい
出汁のきいた味噌仕立てにバター(マーガリン)を溶き込んだ汁(多分・・)の
様でしたが、結構美味しかったので帰ってから作ってみました。 同じように
出来たので、我が家のメニューに追加することになりました。


お天気もよく、空調のきいた車内からは緑の山々が心を和ましてくれます。




飛騨高山・板倉ラーメンではラーメンの試食と工場見学。
ついでにお土産も買ってきました。


午後4時半過ぎ、今日の目的地の郡上八幡に到着しました。
出発してから約9時間、走行距離は約400kmです。

早速、待ち構えていた地元生まれの元気な80うん歳の男性ガイドさんに
案内され町を一回りします。

郡上八幡城
戦国時代末期の永禄2(1559)年、遠藤盛数が築城。別名「積翠城」とも
呼ばれ、石垣は県史跡。木造4層5階建ての天守閣は昭和8(1933)年
に再建したもので八幡町文化財に指定されているそうです。


名水百選にも選ばれた湧き水「宗祇水」(そうぎすい)は、水神を祀る
共同の洗い場で、今も住民達の生活用水に利用されています。



町のあちこちに水路が流れ鯉やアマゴ等が気持ちよさそうに泳いでいます。
親水遊歩道にて



町の中心を流れる吉田川は、長良川の最大の支流です。
透き通った清流は、観光客や地元の人たちの憩いの場となっています。


吉田川にかかる「新橋」
この橋の欄干から水面までは12〜13mあるそうです。

地元の子ども達は、ここから飛び込んで一人前になるそうです。

お願いして(けしかけて)飛び込みを見せてもらいました。

見事に飛び込んでくれました。

案内して下さっている男性ガイドさんも、「若い頃はよく飛び込んだものだ」
と懐かしんでいました。

この地は、土佐藩主 「山内一豊の妻」 の出生の里だそうです。
郡上八幡旧庁舎記念館
昭和11(1936)年に建てられた木造二階建ての洋風建築で、平成6年まで
八幡町役場として使われていたそうです。平成10年に国の「登録文化財」に
指定されました。
現在、館内では物産の展示販売や軽食の提供をしています。


「郡上おどり」
今年は7月12日から9月6日迄の期間踊る、国の重要無形民俗文化財の
盆踊りで、日本三大民踊のひとつだそうです。

おどりの会場は、日々同じではありません。十数か所の会場があり、
今宵の会場は新栄町です。
どの家の軒先にも「郡上おどり」の提灯が下げられ、雰囲気を盛り上げて
います。

会場近くには、屋台が出店していて子ども達が群がっています。
昔からの、とても懐かしい風景です・・



郡上おどりは道の中央に屋形を置き、その周りを輪になって踊ります。



今夜は、恵比寿祭と呼ばれ「個人おどりコンクール」も行われていました。

寛永年間、時の領主遠藤慶隆が士農工商の融和を図るために、踊りを
奨めたのが郡上おどりの始まりだそうです。

胸にゼッケンをつけ、我こそはと踊っています。

私も、小学生の頃は近くの寺の境内で行われた盆踊りで「東京音頭」や
「炭坑節」をかなり上手に踊ったものでした。
踊りは「かわさき」、「春駒」、「三百」など10種類あります。

8月13日から16日までは盂蘭盆会といって、翌朝5時頃まで徹夜で
踊り明かすそうです。
観光客も輪の中に加わり、見よう見まねで踊り始めました。

車椅子の若者が一生懸命に踊っているのがとても印象的でした。




昨夜の宿は、「ホテル郡上八幡」でした。




露天風呂からは眼下に吉田川の清流が眺められ、早朝から鮎の友釣りを
する釣り人達が無心に竿を操っていました。


今日11日は世界遺産の白川郷を散策してから富山を経て帰路につきます。


東海北陸自動車道に、「高速道路の標高日本一」の場所がありました。
海抜は1、085mです。
この辺りの地名は、高山市の「松の木峠」だそうです。

たくさんトンネルを抜けて白川郷に入っていきます。


白川郷は
世界文化遺産 国選定 重要伝統的建造物群保存地区
荻町合掌造り集落」 と荻町案内所のパンフには書いてあります。

明善寺





鐘楼門(県の重要文化財)




合掌造りではありませんが、お土産、お休処の「ぜん助」は賑わっていました。


「神田家」前にて






国指定重要文化財 「和田家」


国指定重要文化財 「和田家」
白川村の合掌造り集落で最大規模を誇る和田家住宅。
天正元年(1573)以来、代々弥右衛門の名を継ぎながら江戸時代には
庄屋と番所役人を務めるとともに、白川郷の重要な現金収入源であった
塩硝(焔硝)の取引によって栄えたとのことです。  (パンフより)
現在も住居として使用しつつ一階と二階部分を公開しています。


塩硝(えんしょう)
硫黄、木炭とともに黒色火薬の原料の1つである硝石
焔硝(えんしょう)
熱や衝撃などにより急激な燃焼反応をおこす物質(爆発物)


ご当主をはじめ、一家総出で受付から屋内の案内をしていました。
文化財の維持保存は容易ではありません。

二階部分です。
右下に見えるスノコ状は一階の囲炉裏からの暖や煙が上がって来るように
工夫されているようです。
煙や煤で黒光りする屋根裏と生活用品の民具。

見学用と思いますが、小規模な養蚕をしています。白く見えるのは繭です。

一階 「オクノテイ」の古色蒼然たる欄間。



約1時間にわたり白川郷の散策を楽しみました。

白川郷を後に富山県に向かいます。

北陸道、穏やかな里山の景色です。



富山市にある、ますのすし本舗 「源」 の工場に着きました。


妻が北陸出身なので、駅弁で「ますのすし」はお馴染みです。
自分達はいつも何気なく 「ますずし」 と云っています。

工場敷地内には、売店や食堂があります。


「ますのすし」で使われる鱒(マス)は、現在ノルウェーからの輸入だそうです。

作業中の工場見学も出来ます。
一日の生産量は8,000〜30,000食との事です。
各駅の売店やスーパー、百貨店の催事等にも全部ここで製造・出荷して
いるそうです。

「ますのすし」 1,300円

「ぶりのすし」 1,300円

食堂内の豪華な装飾。
なぜか大漁旗がずらりと並んでいました。

昼食もここでとりました。お米も美味しく、ビールもよく冷えていました。

市内に入り、富山の薬 「池田屋安兵衛商店」を見学しました。

「越中富山の反魂丹」の昔の製法を見せてくれました。



再び、北陸道に乗りました。見えているのは日本海です。


そして上信越道、関越道で帰路に向かいます。
途中からビデオで「釣りバカ日誌18」を流してガイドさんもひと休み。

横川サービス・エリアで休憩を取りました。


峠の釜めし本舗 「おぎのや」がありましたが、もうお土産はいっぱいなので
横目で見るだけにしました。
三芳パーキング・エリアで最後のトイレ休憩をとり関越道を降りて8時前には
無事に帰宅することができました。


帰路の走行距離は約600km、二日間の走行距離は約1,000km。
最後まで法定速度内での安全運転に徹してくれたドライバーさん。そして
ベテランのガイドさんと添乗員さん。
その上、20名の同行メンバーとお天気にも恵まれて楽しい旅ができました。





おまけ
飛騨高山の「板倉ラーメン

白川郷の「どぶろくまんじゅう
同じく 「とち餅」


ますのすし本舗 「源」 の 「ますのすし

同じく 「ぼうだら


「池田屋安兵衛商店」の「越中 反魂丹」


道の駅「風穴の里」で購入した「野沢菜わさびポテトチップス
                                      以上です。


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